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遺骨を集める父は姿を消した 南の島の市長が大切にしていた手紙

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原爆をB29爆撃機に積み込んだピット跡=テニアン島で2010年3月31日、隅俊之撮影
原爆をB29爆撃機に積み込んだピット跡=テニアン島で2010年3月31日、隅俊之撮影

 太平洋に浮かぶテニアン島は青い海が美しいところです。ダイビングで訪れたことがある人もいるかもしれません。ただ、この島は私たちが二つの意味で記憶に刻み、忘れてはならない場所でもあります。【ニューヨーク隅俊之】

 米自治領北マリアナ連邦のテニアン島。大半が緑に覆われたその島は、サイパン島を5人乗りの小型飛行機で飛び立ち、15分ほどで到着する。透明度が高い海はどこまでも澄んで青い。

 テニアン島と言われて日本人が最初に思い浮かべるのは、広島と長崎に投下された原爆だろう。

 サイパン島やテニアン島は第二次世界大戦中に日米の激戦地となり、米軍は1944年8月にテニアン島を占領。飛行場を拡張整備し、日本への本土空襲に出撃するB29爆撃機の拠点とした。

 広島原爆「リトルボーイ」を投下した「エノラ・ゲイ」も、長崎原爆「ファットマン」を落とした「ボックスカー」も、島の北にある「ノースフィールド」と呼ばれる飛行場から日本に向かった。生い茂る草木で姿が隠れつつある滑走路の脇には、二つの原爆を機体に積み込んだピット跡がそれぞれ残っている。

 テニアン島は12年前、日米両政府が合意した在沖縄米海兵隊の海外移転計画をめぐり、注目を集めた。射撃訓練場を整備する計画があり、当時のデラクルス市長が普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先としても名乗りを上げたからだった。

 この頃、取材で訪れた執務室でデラクルス氏はこう言った。

 「第二次世界大戦中の8000フィート(約2500メートル)級の滑走路が4本も使われないまま残っています。4000人や5000人の軍人の受け入れなど容易なことです。日米が普天間飛行場の移設先を探しているなら、なぜテニアンにしないのか」

 北マリアナ連邦は1983年、テニアン島の3分の2を米政府に50年間貸す租借契約を結んだ。50年間の延長も可能で、2082年まで軍事訓練に利用できる。「そういう意味では、我々はもう30年も米軍が来るのをずっと待っているのです」。デラクルス氏はそう語ると言葉をつないだ。

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