母の人生をたどる旅 長崎の「炭住」から「鉄の街」釜石へ
毎日新聞
2022/8/21 08:00(最終更新 8/31 13:28)
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「もう一度、長崎のヤマと海を見たいとよ」
今年正月に卒寿を迎えた母の思いに、一念発起。この夏、マイカーに母を乗せて、90年間の人生をたどる旅に出た……。
◇
「ヤマ」とカタカナで書いたのは、18年前に78歳で逝った父が、鉱山技師だったことに由来する。鉱山で働く者と家族にとって、「ヤマ」とは炭鉱をさす隠語だった。
熊本県の農家の7人兄姉の末に生まれた父は、学徒動員世代で、現在は長崎県佐世保市に統合された旧北松浦郡の炭鉱に職を得た。そこは、炭鉱が連なり、採掘で出たガラを積み上げた「ボタ山」が点在していた。
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