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ドナルド・キーンが描いた日本――生誕100年に

源氏物語をはじめ日本の文学や文化の魅力を世界に紹介した故ドナルド・キーンさん。生誕100年を機に、膨大な英語の著作から、その言葉の意味を考えます

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ドナルド・キーンが描いた日本――生誕100年に

/13 受け継いだライシャワー氏の心

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1962年3月5日、日本文学紹介の功績で「菊池寛賞」を受賞した記念昼食会で。キーンさん(前列中央)、ライシャワー駐日大使(後列左)、親交が深かった作家の三島由紀夫氏(中列右)や吉田健一氏(前列右)が写っている。(ドナルド・キーン記念財団提供)
1962年3月5日、日本文学紹介の功績で「菊池寛賞」を受賞した記念昼食会で。キーンさん(前列中央)、ライシャワー駐日大使(後列左)、親交が深かった作家の三島由紀夫氏(中列右)や吉田健一氏(前列右)が写っている。(ドナルド・キーン記念財団提供)

 終戦後、母校の米コロンビア大学の大学院で本格的な研究生活を始めたドナルド・キーンさん。本来なら、すぐにでも日本か中国へ留学したかったのだが、当時の国際情勢は、それを許してくれなかった。連合国軍占領下の日本には、軍事的な仕事でない限り入国することはできず、また中国では国民党と共産党による国共内戦が続いていて、落ち着いて研究生活ができるような環境ではなかった。

 そこで、キーンさんは国内留学の道を選び、米国最古の大学で、権威あるハーバード大学に移った。1947年秋のことだ。

 ハーバードには優秀な日本学の研究者がいたが、そのうちの1人が、後のケネディ大統領時代に駐日大使となったことで知られるエドウィン・ライシャワー氏(1910~90年)である。当時は日本史の助教授で、キーンさんよりは一回りの12歳年長だった。平安時代の天台宗の高僧、円仁(えんにん)に関する氏の研究に触れながら、キーンさんは自伝にこう記している。

One of his former students was a close friend of mine, and the three of us would have lunch together from time to time. His interests extended to every aspect of Japanese civilization, and again and again I would be surprised by some remark which, though diffidently spoken, revealed his unquestionable understanding of Japan. No doubt many of the “discoveries" I have made had their origins in these lunchtime conversations.

In 1955 Professor Reischauer published the two volumes of his study of the ninth-century Japanese priest Ennin.…

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