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うつ病と診断された経験がある長野県内の当事者らでつくる団体「うつリカバリーエンジン」代表、長谷川洋さん(54)
毎日のように「死にたい」と考えていた時期がありました。転職活動の面接で、「なんでこんなに短い期間で会社を辞めるのか?」「転職経験が多いのはなぜ?」と聞かれるので、「うつ病が原因です」と言うと、「うつ病の人はいらない」「精神的に弱いんですね」という言葉が返ってきたんです。
まるで「社会の落伍(らくご)者」であるかのような扱いが屈辱的だったし、とにかく悔しかったですね。
IT関連の企業で働いていましたが、仕事のストレスで夜中に何度も目が覚めたり、起床時間より1時間以上も前に目が覚めたり、眠れない日々が続いてしまって。「おかしい」と思って病院を受診したら、うつ病と診断されました。37歳の時です。働くことが難しくなって失業しました。
でも、生活があるので転職活動をしないといけません。そこで、心ない言葉をたくさん浴びました。就職ができても、うつ病が悪化して「自分は迷惑をかけている」という思いにかられ、「もうこれ以上誰にも迷惑をかけられない」と自分から仕事を辞めました。
当時は「仕事が変わればきっと良くなる」と信じていたんです。今思えば、良くなるわけがないですよね。新しい環境、新しい仕事、新しい人間関係の中で働くことは大変すぎます。
心ない言葉
病気のことを上司に打ち明けたら「甘えたこと言ってんじゃねえ」と言われたこともありました。症状は悪化していくばかりで、働くことが怖くなって引きこもっていた時期もあります。復調して就職できても、症状が悪化しては辞めるという繰り返しで、長くは続きませんでした。
41歳で無職だったんです。自分がとにかく惨めでした。「僕は、何のために生きているんだろう」と思って。リーマン・ショックがあった2008年と翌09年は、23社連続で不採用でしたからね。その時、「本気で死のう」と思いました。お金もないし、働くこともできないし、もう無理だなって。
思いとどまれたのは、母がしょっちゅう口にしていた「大丈夫だ」という言葉があったからです。「何を根拠に大丈夫と言えるんだ!」と言い返すこともあったんですが、「大丈夫」と言い切ってもらえたことで、どこか安心できたんだと思います。
友達の気配りが支えに
友達からの「大丈夫?」も心の支えになりました。気に掛けてもらえるってうれしいことなんです。その後、何とか仕事も見つかりました。
鬱々としていたときに、とにかく本をたくさん読んだんです。ある本に、「現状にばかり意識を向けると病に負けるので、意識を未来に向けよう」というフレーズがあって。人生をプラスの方向にイメージしている時は、マイナスのイメージは湧きません。
それに、イメージをするのは自由です。お金がなくてもできます。死にたいほどつらい時こそ、想像をするんです。行ってみたい所とか、やってみたいこととか。マイナスの感情が打ち消されるのでお勧めです。僕は音楽が好きなので、ギターを弾き語りする自分をイメージしています。
人生って良いときも悪いときもあって、それはてんびんみたいなものなんだと思うようになりました。その時つらくても、後で必ず良い時がくるんです。今つらくても、必ず、同じくらい楽しいことや幸せなことがやってきます。
人生の帳尻は合うようにできていると思ったら、死にたいという思いはいつの間にか消えていました。人生は、意外とバランスがとれています。【聞き手・坂根真理】