- ツイート
- みんなのツイートを見る
- シェア
- ブックマーク
- 保存
- メール
- リンク
- 印刷
このまま突き進んでは、国民の納得は到底得られない。
政府が安倍晋三元首相の「国葬」の費用を全額国費で負担し、今年度の予備費から約2・5億円を支出することを決めた。
自民党の首相経験者については内閣と党の合同葬が長年の慣例となっており、国葬は1967年の吉田茂元首相以来である。
しかし、疑問は募るばかりだ。
毎日新聞の世論調査によると、「反対」が53%で、「賛成」は30%にとどまる。銃撃事件後、安倍氏と宗教団体・世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との深い関係が明らかになったことが影響しているとみられる。
そもそも国葬には、明確な法的根拠がない。
政府は、内閣府設置法が定める「国の儀式」として行う方針だが、同法は皇室行事に適用されてきた。政治家の葬儀を対象にしたことはない。基準や内容の規定もなく、時の政権によって恣意(しい)的に運用されかねない。
岸田文雄首相は国葬とする理由の一つに、安倍政権が憲政史上最長だったことを挙げた。だが、退陣間もない安倍氏への歴史的評価は定まっていない。
評価や弔意の押しつけがあってはならない。弔意表明について、政府が、各自治体や教育委員会などに協力を求めない方針を決めたのは当然である。
首相は、各国首脳らとの「弔問外交」を展開したい考えだが、国葬でなくてもそれは可能だ。
2000年に急逝した小渕恵三元首相の合同葬には、当時のクリントン米大統領や韓国の金大中(キムデジュン)大統領ら多くの首脳が参列し、個別の首脳会談も行われた。
首相は国民の疑問に真摯(しんし)に答える姿勢を欠いている。
「さまざまな機会を通じて丁寧に説明する」と言いながら、野党が求める臨時国会の早期召集に応じず、国葬に関する閉会中審査もまだ開かれていない。
政治不信を招いている旧統一教会の問題でも、対応が後手に回り、うみを出し切る覚悟は見えない。
こうした状況下で国葬の準備をなし崩しに進めても、世論の分断を深めるだけだ。葬儀のあり方を含め、ふさわしい環境を整える責任は首相にある。