「最後の夜は綿布団で」父が写した特攻隊 77年前の心境たどる
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出撃を控えた特攻隊員の姿を収めたモノクロ写真の数々。太平洋戦争で日本の敗色濃厚な1945年のものだ。撮影場所とされる、出撃基地のあった鹿児島県・知覧(南九州市)を今夏、1人の男性が初めて訪れた。撮ったのは男性の亡父。「おやじはどんな気持ちで写したのだろうか」。国家のため、理不尽な運命を背負わされた若者たちを写した77年前の心境をたどった。
写真は、毎日新聞のカメラマンだった早川弘(ひろむ)さん(81年に64歳で死去)が撮影した。37(昭和12)年に入社し、旧満州(現中国東北部)従軍を経験。原爆投下後の長崎でも取材した。知覧には、満州から帰国後の45年4月ごろに訪れたとみられる。
早川さんが当時撮影した写真が毎日新聞大阪本社(大阪市)に保管されている。ライトの明かりの中、徹夜で行われる特攻機の整備▽負傷した仲間を見舞う特攻隊員▽出撃前、笑みを浮かべて最後の杯を交わす特攻隊員……。
「初めて見たものばかりです。…
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