「平成の経営の神様」 京セラやJALで手腕発揮 稲盛和夫さん死去

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就任記者会見で記者の質問を聞く日本航空の稲盛和夫会長=東京都港区で2010年2月1日、西本勝撮影
就任記者会見で記者の質問を聞く日本航空の稲盛和夫会長=東京都港区で2010年2月1日、西本勝撮影

 戦後日本を代表する起業家、稲盛和夫さんが逝った。セラミック部品から出発したメーカーの京セラ、情報通信の第二電電(現KDDI)という異なる分野の大企業を創業し、晩年には日本航空の経営再建を主導。既に鬼籍に入った松下幸之助さん、本田宗一郎さんらと並ぶ名経営者だった。

 若い頃の稲盛さんは何度も挫折を経験した。太平洋戦争のさなか、旧制鹿児島第一中等学校の入試に2年連続で失敗。空襲で実家は焼失した。志望した大阪大医学部薬学科への入学もかなわず、就職活動も第1希望の石油会社には入れなかった。鹿児島大の恩師の紹介で、京都の碍子(がいし)メーカー、松風工業に技術者として入社したことが、その後の人生を方向付けた。

 入社して最初の仕事は、ブラウン管用のセラミック部品の開発。2年目でこの事業を軌道に乗せたが、間もなく開発を巡って上司と衝突。それを機に退社して、27歳で京都セラミック(現京セラ)を創業した。

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