ゴルバチョフ氏にとって沖縄は特別だった 対立と闘った2人の男

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那覇市を訪問し、翁長雄志市長(当時)に色紙をプレゼントするゴルバチョフ氏(左)=2001年11月14日(那覇市提供)
那覇市を訪問し、翁長雄志市長(当時)に色紙をプレゼントするゴルバチョフ氏(左)=2001年11月14日(那覇市提供)

 30日に死去したゴルバチョフ氏はソ連大統領を退任後の2001年11月に那覇市を訪問し、市民向けに講演会などを開いた。招待したのは当時、那覇市長だった故・翁長雄志(おながたけし)前沖縄県知事(18年に死去)。当時、市長公室長だった宮里千里(せんり)さん(72)は「沖縄で長年続く保守と革新の対立を終わらせるにはどうすればいいか模索し始めていた翁長さんは、東西冷戦を終わらせたゴルバチョフさんの偉業にヒントを得ようとしていた」と振り返り、「二人とも対立の中に切り込んでいって火の粉を浴びた。その生き様を伝えるのが私たちの役割かもしれない」と悼んだ。

 来日したゴルバチョフ氏は2泊3日の日程で沖縄に寄った。那覇市民会館での講演会は立ち見客も含めて2000人近くが集まり、熱気に包まれた。「若い人にゴルバチョフさんのことを知ってもらいたい」という翁長氏の提案で、舞台には約150人の高校生もゴルバチョフ氏とともに上がった。

 その後の歓迎会は琉球王国時代に迎賓館として使われ、世界遺産にも登録された那覇市の庭園「識名(しきな)園」で催された。会場からの帰路、ゴルバチョフ氏は「車を止めて」と言い…

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