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盤寿の名人戦

将棋盤が9×9の升目であることから81歳を「盤寿」として祝う将棋界。80期を数える名人戦に挑んだ棋士が振り返ります。

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盤寿の名人戦

世代交代果たした佐藤天彦九段 「羽生さんも僕も手が震えていた」

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第74期名人戦第1局の前夜祭で笑顔を見せる羽生善治名人(右)と挑戦者の佐藤天彦八段=東京都文京区のホテル椿山荘東京で2016年4月4日午後6時10分、竹内紀臣撮影
第74期名人戦第1局の前夜祭で笑顔を見せる羽生善治名人(右)と挑戦者の佐藤天彦八段=東京都文京区のホテル椿山荘東京で2016年4月4日午後6時10分、竹内紀臣撮影

 名人位は2002~15年に羽生善治九段(51)と森内俊之九段(51)の間を行き来した末、16年に佐藤天彦九段(34)の手に渡った。佐藤九段はその後、羽生九段の挑戦も退けて3連覇を果たし、名実ともに世代交代を果たした。新しい世代が描く「名人像」とは。【丸山進】(▲は先手、△は後手)

順位戦にこだわり放棄した「権利」

 羽生九段が7冠制覇を果たした時、佐藤九段は8歳。2年後に棋士養成機関である奨励会に入り、プロを目指した。名人には憧れたが、「将棋に熱中した子供時代は、羽生さんたちの世代が上の世代を倒していった時期。名人に確たるイメージは持っていなかった」。連覇を重ねた大山康晴十五世名人や中原誠十六世名人の時代が過ぎ、名人像が描きにくい時代でもあった。

 02年10月から、1期(半年)ごとに上位2人が四段昇段(プロ入り)する奨励会三段リーグに参加。3、4期目に次点を取り、「次点2回でフリークラス編入」の規定により、プロ入りする権利を得た。しかし、フリークラスでは名人戦の順位戦(C級2組)にすぐには参加できないこともあってこの権利を放棄し、周囲を驚かせた。その後、4期2年かけてようやく三段リーグを抜け、プロの仲間入りを果たした。

 「三段時代が長かったので、早めに結果を出したい」。そう心に決めていたが、順位戦C級2組では07年度(第66期)からの3年間は、6勝4敗、7勝3敗、5勝5敗と昇級争いにも絡めなかった。「棋士生活は先が長いので、基礎的な力をつけることを重視して、目先の結果をそこまで求め過ぎないようにしていた。のんびり力を付けていこうというタイプなので、はやりの戦法をとろうという感じはなく、基礎的な力がついたら自然と押し上げられると信じ、戦法の研究や過去の大棋士の将棋を並べることに没頭した」という。

初めての名人戦へ

 なかなかC級2組を抜けられなかったが、4年目の10年度に10戦全勝で抜けて勢いづくと、C級1組は1期抜け、B級2組は1期目は最終局まで昇級の目を残し、2期目で突破。「鬼のすみか」と呼ばれる実力者ぞろいのB級1組も初年度1位で駆け抜け、15年には挑戦者争いをするA級にたどり着いた。「順位戦は、若くて勢いのあるうちに突き抜けないと大変」。佐藤九段は実感を込めてそう振り返る。

 A級在籍中の15年9月には王座戦五番勝負で初めてタイトル戦の舞台に立ち、羽生王座に挑戦した。初戦を落とした後に連勝し、先に王手をかけたが連敗。タイトルに手は届かなかったが快進撃は続き、16年2月には棋王戦五番勝負で渡辺明棋王に挑戦。こちらも1勝3敗で敗れたが、番勝負の進行中、A級最終局に勝利し、8勝1敗の好成績でA級1期目にして第74期名人戦の挑戦者に躍り出た。

 相手は通算10期目を目指す羽生名人。「王座戦で羽生さん相手に2勝できた。当時の羽生さんには、ストレート負けや1勝3敗の若手も多かった。3連敗で敗退していたら自信を失って、その後の勢いもそがれたかもしれないけど、タイトルに届くイメージができた。渡辺さんには2勝差を付けられたけど、戦えないわけじゃない手応えがあった。上り調子の雰囲気と、ここを逃したら勢いを失ってまずいという緊張感の両方があった」と当時の心情を語る。

 2日制のタイトル戦は初めてだったが、…

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