紀伊半島豪雨11年 犠牲の友思い防災活動 古里に植える希望の苗

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「戻り苗」を手にする奥川季花さん=和歌山県田辺市で2022年8月16日午後0時53分、木村綾撮影 拡大
「戻り苗」を手にする奥川季花さん=和歌山県田辺市で2022年8月16日午後0時53分、木村綾撮影

 和歌山、奈良、三重3県で88人の死者・行方不明者が出た2011年9月の紀伊半島豪雨から11年になる。あの日、大切な友人を亡くした女性は大学を卒業して故郷の和歌山へ戻り、災害に強い山づくりに挑んでいる。「二度と災害で家族や友人を失いたくない」。そんな思いで希望の「苗」を植えようとしている。

 和歌山県那智勝浦町出身の林業支援会社「ソマノベース」代表、奥川季花(ときか)さん(26)。11年9月3日、同町は台風12号に伴い、防災無線が聞こえないほどの大雨に見舞われた。県立新宮高校の1年生だった奥川さんは、停電でテレビのニュースを見ることもできず、状況が分からないまま自宅で眠りについた。

和歌山県田辺市内の山林で植林する奥川季花さん=ソマノベース提供 拡大
和歌山県田辺市内の山林で植林する奥川季花さん=ソマノベース提供

 同4日未明、父に起こされて外へ出ると、辺りは湖のような光景だった。高い土台の上にあった自宅はわずか5センチ差で浸水を免れた。

 通学時に乗っていたJR紀勢線の鉄橋は崩れ落ち、遊び場だった那智川は原形をとどめていなかった。土石流に襲われた同町では死者・行方不明者が29人に上り、そのうちの一人が当時中学3年生の友人だった。

 少年野球チームに所属していた友人は明るい性格で、高校で硬式野球部のマネジャーをしていた奥川さんが「うちの高校に来て野球部に入りなよ」と誘うと、前向きに返事をしてくれた。他の友人からの電話で行方不明になっていると知ったが、道が崩れ、捜しに行くこともできなかった。

 「生きて、もっといろんなことをしたかっただろうに」。災害ごみが散乱する町を一人で歩きながら、悔しさがこみ上げた。「もう誰もつらい思いをしてほしくない」

橋脚の一部が倒壊、流失したJR紀勢線の那智川橋りょう=和歌山県那智勝浦町天満で2011年9月4日午後0時15分、神門稔撮影 拡大
橋脚の一部が倒壊、流失したJR紀勢線の那智川橋りょう=和歌山県那智勝浦町天満で2011年9月4日午後0時15分、神門稔撮影

 豪雨災害の前までは、ずっと地元が嫌いで「早く都会に出たい」と思っていた。だが、身近な人やいつも当たり前のようにあった風景が失われ、かけがえのないものだと気付いた。被災家屋の復旧ボランティアに汗を流しながら、「地元のためになることがしたい」という思いが芽生えた。

 地方創生や防災に関心を持ち、京都市の同志社大へ進んだ。在学中の17年10月、超大型の台風21号に伴い、紀伊半島は再び大雨になった。「あの時みたいになるんじゃないか」。古里の友人たちと連絡を取り合いながら、互いに不安を募らせた。あの日以来、「地元の人が本当に望んでいることは何か」と考え続けてきたが、やるべきことが見えた気がした。

災害に強い山づくりを

 図書館にこもって水害について調べ始めた。山が荒れ、保水力や土砂流出防止などの機能が失われると、土砂災害のリスクが高まることがわかった。山の現状を聞くために林業家たちを訪ね、見えてきたのは「山の保全にコストをかけるだけの余裕がない」という課題。人の手で防ぐことはできないと思っていた自然災害だが「山づくりを通してできることがあるのではないか」と感じた。

 大学卒業後、社会起業家を育成する会社や林業の現場で経験を積みながら個人事業を始め、21年5月、和歌山県田辺市で「ソマノベース」を法人化。まず取り組んだのが、ウバメガシのドングリから苗木を育てるキット「戻り苗」(1万2100円)の販売だ。家で観葉植物として育ててもらい、2年後に引き取って県南部の森に植林する取り組みだ。楽しみながら森林保全や防災に貢献できることからクラウドファンディングを通して賛同が広がった。これまでに約350個を売り上げ、7月からは企業のオフィスや店舗向け商品の販売も始めている。

 伐採後、山肌があらわになった斜面では災害のリスクが高まる。こうした場所に「戻り苗」の苗木を植えることで、災害に強い山を増やしていきたいという。

 「土砂災害による人的被害ゼロ」を目指して活動する奥川さんは山づくりに全力を注ぎつつ、将来的には住民の防災意識を高め、災害時の避難行動につなげる活動などにも取り組んでいきたいと考えている。

 「亡くなった人の分まで後悔しないように生きよう」と誓ったあの日から11年。これからも古里へ貢献する道を歩み続ける。【木村綾】

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