誰もがおしゃれを楽しめる世の中に 元ユニクロ社員47歳の挑戦

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着脱しやすいように袖から脇にかけてジッパーで開閉できるようにしたジャケット=キヤスク提供 拡大
着脱しやすいように袖から脇にかけてジッパーで開閉できるようにしたジャケット=キヤスク提供

 誰もがおしゃれを楽しめ、着たい服を自由に着られる社会を実現しようと奮闘する元ユニクロ社員がいる。障害者向けに既製品の「お直し」を手掛ける「キヤスク」(千葉市)を約半年前に開業した前田哲平さん(47)だ。当事者らへのヒアリングを重ねて導き出されたサービスは、同僚が発した何気ない一言がきっかけだった。【佐野格】

服選ぶ基準、着たいかどうかではない

 「身体障害者は着られる服がなくて困っていますよ」

 2018年春、ユニクロなどを展開するファーストリテイリングでインターネット販売などの業務を担当していた前田さんは、聴覚障害者の同僚が何気なく発した一言に耳を疑った。

障害者向けの服のお直しサービス「キヤスク」を運営する前田哲平さん=東京都千代田区で2022年8月4日午後3時58分、佐野格撮影 拡大
障害者向けの服のお直しサービス「キヤスク」を運営する前田哲平さん=東京都千代田区で2022年8月4日午後3時58分、佐野格撮影

 低価格で高品質な衣料品が大量生産される時代に、着られる服がないとはどういうことなのか。「周囲に障害のある人がいなかったこともあり、正直よく分からなかった」。障害のある人やその家族、介助者らにヒアリングを始めた。

 実感したのは、本人が着たいかどうかではなく、着やすいかどうか、もしくは周囲が着せやすいかどうかで服を選んでいる現実だった。腕を曲げにくい人にとってはTシャツは着づらいし、手先が不自由な人にはボタンは留めづらい……。

 世の中では、洋服が捨てられるほどたくさん作られる一方で、選択肢が少なく困っている人がいるのに社会では気にもされていない。「あまりに不公平だ。洋服屋で働いている人間として何とかしたい」。当事者たちのニーズを詳しく知るため、仕事の合間にヒアリングを続けた。

ヒット商品誕生も問題に向き合い独立へ

前開きにお直ししたシャツ。着たときに直した部分が外から見えないよう工夫している=キヤスク提供 拡大
前開きにお直ししたシャツ。着たときに直した部分が外から見えないよう工夫している=キヤスク提供

 その蓄積はユニクロの商品開発に生かされた。把握したニーズを社内で共有したことで、新生児や幼児向けに限られていた「ボディースーツ」と呼ばれる前開きの下着は、160センチサイズまで広げることにつながった。

 20年9月に販売を始めると、介助が必要な子どもを持つ親を中心に大きな反響を呼ぶヒット商品となった。会社員としては大きな成功だ。前田さんは「やってよかった」。だが、満足はしていなかった。

 「脳性まひの人と車椅子ユーザーでは求めているものが違う。いくつかの商品を作れたとしても、根本的な解決にならない。一つ商品を出してこんなに喜んでもらえるなら、課題を解決してもっとたくさんの人に喜んでもらいたい」

 起業を決意し、同年末に退社した。大学卒業後に就職した地元銀行からユニクロに転職して、気づけば20年。妻と2人の娘との暮らしを考えると不安もあったが、「退路を断って本気でこの問題に取り組みたかった」。しかし、この時はまだ「キヤスク」を設立するアイデアはなかった。

ピンと感じた「お直しサービス」

 退社後もヒアリングを続ける中、障害のある我が子に「可愛い服を着せてあげたい」との思いから既製品をミシンでお直しする人に出会った。そこには「一般のお直しサービスは高額」という事情もあった。

障害者向けの服のお直しサービス「キヤスク」を運営する前田哲平さん=東京都千代田区で2022年8月4日午後3時35分、佐野格撮影 拡大
障害者向けの服のお直しサービス「キヤスク」を運営する前田哲平さん=東京都千代田区で2022年8月4日午後3時35分、佐野格撮影

 「これだ」。障害に応じた服作りにとらわれていた発想が転換した。「服を作ったところで限界がある。これなら(ユーザーは)好きな服を選ぶことができるし、一人一人違う『着やすさ』にも対応できる。お直しのサービスをやろう」。約800人のヒアリングを通じて導き出された「答え」だった。

 それから約1年間、クラウドファンディングで事業資金の一部を集めるなどして開業に向け奔走した。

障害児持つ親がスタッフに

 そして22年3月、誰にとっても服を「着やすく」お直しする「キヤスク」が誕生した。受注は全てオンライン。利用客は専用サイトで会員登録し、希望するお直しのメニューと「キャスト」と呼ばれる担当スタッフを選ぶ。その後、オンライン上で細かな打ち合わせを経て客がキャストへ服を直送すると、お直しの完了後に服が返送される仕組みだ。

オンラインサービス「キヤスク」の利用者とキャスト(スタッフ)とのやり取りのイメージ=キヤスク提供 拡大
オンラインサービス「キヤスク」の利用者とキャスト(スタッフ)とのやり取りのイメージ=キヤスク提供

 メニューは、Tシャツを前開きにする▽シャツのボタン留めを接着テープに変更する▽ブラウスやスエットを脇開きにする▽ジーンズやパンツに床ずれ対策を施す▽スカートのファスナーの位置を後ろから横にずらす――など約80種類に及ぶ。価格は1650~8250円(送料別)と明朗だ。さらに、メニューにないお直しも相談に応じる。

 サービスの特徴は、受注をオンラインで完結させた点にあり、これによって外出が難しい障害者でも自宅から簡単に注文ができる。また、キャストの3分の2は障害児を持つ親たちで、苦労してきた経験があるゆえに客のニーズを細かくくみ取ることができるのだという。

 前田さんは「開業前の調査で、障害者にとって既存の業者にお直しを注文することはハードルが高いと分かりました。かつての私がそうだったように、障害のある人が身近にいないとニーズを把握するのは難しく、注文する側が説明するのも簡単ではありません。できるだけ障害者が利用しやすいサービスにこだわりました」。

評判上々、人々をポジティブに

長時間座り続けることを考え、床ずれ対策を施したズボン=キヤスク提供 拡大
長時間座り続けることを考え、床ずれ対策を施したズボン=キヤスク提供

 そのサービスは徐々に口コミで広まり、8月末までに70件・180点の注文があった。利用客からは「片方のTシャツを前開きにしてもらえたことで、健常児と障害児の双子におそろいを着せる夢がかないました」「半身まひになった親に、着てもらいたい服をプレゼントできました」などの声が寄せられ、評判は上々だ。

 全身の筋肉が徐々に硬直していく原因不明の難病、原発性側索硬化症(PLS)のため車椅子を利用する北九州市の落水洋介さん(40)もジャケットのお直しに満足げだ。「こんなサービスがあればと思っていました。可能性を感じるし、もっと広がってほしいです」

 服を着たり脱いだりするのに介助が必要な落水さんは、それまで大きいサイズのジャケットを選ぶほかなかった。しかし、脇の下から袖の部分をジッパーで開閉できるようお直しを施したことで、ジャストサイズのジャケットを着られるようになった。

股関節や膝が曲がりにくい人に向けて、横開きにお直しをしたズボン=キヤスク提供 拡大
股関節や膝が曲がりにくい人に向けて、横開きにお直しをしたズボン=キヤスク提供

 落水さんは「障害者や高齢者は『あれもできない、これもできない』と選択肢を削られていく日々。障害者もおしゃれを楽しみたいし、TPOにあった服を着たいのです。僕も服を買うときはデザインよりも、介助者が自分に着せやすいかどうかで決めていました」と振り返り、期待をふくらませた。

 「着たい服を着られなければ、買い物にも行かず外出を控えるようになるかもしれない。外出が減れば社会との接点が失われます。そういう負の連鎖があります。しかし、キヤスクが広まれば、その負の連鎖を断ち切ることができるかもしれないと思いました」

病院、介護施設などとの連携も視野に

 22年版の障害者白書によると、国内の身体障害者は推計436万人。ただ、衣服の選択肢に制約のある人は障害者に限らず、介護が必要な高齢者や病気を抱える人などにもお直しの需要が見込まれる。

障害者向けの服のお直しサービス「キヤスク」を運営する前田哲平さん=東京都千代田区で2022年8月4日午後3時59分、佐野格撮影 拡大
障害者向けの服のお直しサービス「キヤスク」を運営する前田哲平さん=東京都千代田区で2022年8月4日午後3時59分、佐野格撮影

 前田さんは「困っている人はたくさんいるはず。特別支援学校の制服のお直しなどで力になれるのではとも思うし、将来的には病院や介護施設などとも連携していきたいです。今後、コンビニやクリーニング店などで注文を受けられるようにするなど日常生活の中でもっと使いやすいサービスにしていきたい」と力を込めた。

 誰もが着たい服を着られる自由な社会の実現を目指して、前田さんの挑戦は始まったばかりだ。

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