特集

安倍晋三元首相銃撃

2022年7月8日、演説中の安倍元首相が銃撃され、死亡しました。その後の「国葬」にも疑念が…。

特集一覧

「安倍元首相の国葬に軍政招くな」 在日ミャンマー人男性訴え

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
国軍のクーデターに抗議するウィンチョーさん(右から2人目)と妻(左)=東京都渋谷区の国連大学前で2021年9月撮影、ウィンチョーさん提供 拡大
国軍のクーデターに抗議するウィンチョーさん(右から2人目)と妻(左)=東京都渋谷区の国連大学前で2021年9月撮影、ウィンチョーさん提供

 27日に営まれる安倍晋三元首相の国葬へミャンマーを外務省が招待したことについて「市民を弾圧する国軍側を来賓として招くことは国葬開催の理念に反する」と東京都の在日ミャンマー人が抗議している。くしくも27日は、2007年に反政府デモを取材中に射殺された映像ジャーナリスト、長井健司さん(当時50歳)の15回目の命日。東京都在住のミャンマー人男性に、長井さんへの思い、国葬招待が持つ問題点について聞いた。

アウンサンスーチー氏の写真などの前でミャンマーの民主化と平和の達成を祈るウィンチョーさん=東京都の自宅で2021年10月13日、ウィンチョーさん提供 拡大
アウンサンスーチー氏の写真などの前でミャンマーの民主化と平和の達成を祈るウィンチョーさん=東京都の自宅で2021年10月13日、ウィンチョーさん提供

長井健司さんの葬儀で両親に謝罪

 「ビルマ人として、国軍のしたことは許せない。申し訳ない」

 2007年10月8日。東京都港区の青山葬儀所で営まれた長井健司さん(当時50歳)の葬儀。喪主を務めた父秀夫さん(2013年に88歳で他界)と母道子さん(同80歳で他界)に向かって、一人の在日ミャンマー人男性が頭を下げた。

 1989年に日本に亡命したウィンチョーさん(57)。ミャンマーのラングーン工科大学(現ヤンゴン工科大学)の大学院生だった前年の88年、全国規模の民主化運動に参加し、同級生の友人が殺された。国軍は当時もクーデターで実権を握り、ウィンチョーさんは、アウンサンスーチー氏らと国民民主連盟(NLD)の設立に参画したことなどで身の危険を感じ、日本に逃れた。

 長井さんの葬儀に赴いたのは「ビルマのために尽くした日本人の両親にどうしても謝りたかった」からだ。「国軍は『流れ弾に当たった』と平気でうそをついた。両親は深く傷ついているはずだ」と思えてならなかった。

 今月27日で15回目の命日を迎えるが「『ケンジ・ナガイ』を知っているビルマ人は今も多い。彼の死が世界の目をビルマに向かわせた。私の中で彼はヒーローとして生き続けている」とたたえる。

ミャンマーの避難民のための難民キャンプや医療施設の設立のための募金活動をするウィンチョーさん(右)と妻=東京都武蔵野市で2021年9月撮影、ウィンチョーさん提供 拡大
ミャンマーの避難民のための難民キャンプや医療施設の設立のための募金活動をするウィンチョーさん(右)と妻=東京都武蔵野市で2021年9月撮影、ウィンチョーさん提供

暴行の動画や写真、国連に訴え

 現在、東京都の飲食店従業員として働く傍ら、SNSを駆使して、21年のクーデター後に国軍が市民を弾圧する情報を日々、集めている。兵士らによる暴力や残虐行為の動画や写真を国連に送り続けている。数千件の資料を元に、人道に対する罪を裁く国際刑事裁判所に国軍幹部らを訴追してもらうためだ。

 「88年にSNSはなかった。今は世界に発信できるチャンスがある。だが、国軍がインターネットを頻繁に遮断するため情報が入りづらくなっている」と説明する。クーデター後、迫害を逃れようと避難民になった市民は多い。ウィンチョーさんは21年9月から、日本での募金活動で、母国の難民キャンプや医療施設の設立に協力した。しかし、一部は空爆で破壊されたという。「空襲はこの瞬間も続いている。ミャンマーの危機が去っていないことを日本政府や日本人に知ってほしい。長井さんが今も生きていれば、懸命に伝えたのではないか」と呼びかける。

「国軍は政府代表ではない」

 今年の長井さんの命日には安倍晋三元首相の国葬が開かれる。外務省はミャンマーを招待し、在日ミャンマー大使が参列する予定だ。民主派側ではなく、ミャンマー国軍側のみを事実上招いた形だ。ウィンチョーさんは「国軍を政府代表として扱って国葬に招いてはならない」と強調する。

 岸田文雄首相は国葬を実施する理由の一つに「暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜くという決意を示す」ことを挙げた。ウィンチョーさんは「ビルマの多くの市民が民主主義を取り戻そうと、国軍の暴力に屈せず戦っている。国軍側を招くことは国葬の『民主主義を守る』理念に矛盾する」と切実に訴える。

 ミャンマーで民主化を取り戻そうと戦う市民の多くは「若者たち」であり、日本にも留学生や技能実習生の若者がいると指摘する。ウィンチョーさんは母国を「ビルマ」と呼ぶことにこだわる。88年の民主化運動を押さえ込んだ軍事政権が翌89年に多数派のビルマ族由来の国名から全民族を意味する「ミャンマー」へと変えたが、ウィンチョーさんは「市民の合意を得ずに国軍が一方的に変えた国名は認められない」と憤る。「(軍事政権が89年に改名した)ミャンマーではなくビルマの次世代を担う彼らが、日本の対応を真剣に見極めようとしている。それを忘れないでほしい」

旧宗主・英国は女王国葬に招かず

 ミャンマーの人権団体「政治犯支援協会」によると、21年2月のクーデター以降、22年9月23日までに国軍の弾圧で2316人が殺され、1万2464人が拘束されている。

 19日に営まれたエリザベス英女王の国葬について、BBCなどによると、国軍によるクーデターが起きたミャンマーは招待されなかった。【鶴見泰寿】

【安倍晋三元首相銃撃】

時系列で見る

関連記事

あわせて読みたい

マイページでフォローする

ニュース特集