岩槻出身の画家、田中保 異国での成功と苦悩 「裸婦」など100点紹介 県立近代美術館 /埼玉

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「裸婦」(1924年)=埼玉県立近代美術館提供
「裸婦」(1924年)=埼玉県立近代美術館提供

 パリの画壇で活躍した岩槻町(現さいたま市)生まれの画家、田中保(やすし)(1886~1941年)の画業をたどる回顧展「シアトル→パリ 田中保とその時代」が10月2日まで、県立近代美術館(さいたま市浦和区)で開催されている。最新の調査結果を反映し、海を越えて異国の美術界へと身を投じ、国と国とのはざまを生きた苦悩など田中の実像に迫る。【山崎恵利花】

 田中は旧制浦和中(現県立浦和高)を卒業し、18歳で単身、米シアトルへ渡る。皿洗いなどで生活しながら徐々に画家としての地位を築いた。裸婦像への道徳的批判、移民排斥運動などを受け、より自由な環境を求め1920年に渡仏。パリのサロンに豊満な裸婦像を出品し「裸婦のタナカ」として人気画家となった。一方、日本での美術教育を受けていないことから祖国の画壇では認められず、一度も帰国せずに第二次世界大戦下のパリで…

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