ウクライナに残り銃殺された元夫 10歳娘と避難する女性の思い

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「大好きな日本」で避難生活を送るタマラ・バルビンスカさん=横浜市内で2022年9月16日午後5時5分、鈴木悟撮影 拡大
「大好きな日本」で避難生活を送るタマラ・バルビンスカさん=横浜市内で2022年9月16日午後5時5分、鈴木悟撮影

 ロシアによるウクライナ侵攻は7カ月を迎えるが、戦闘が収束する兆しは見えない。そんな中、ウクライナに残った元夫が銃殺される悲劇に見舞われながら、10歳の娘と避難生活を送るウクライナ人女性が横浜市にいる。実は幼い頃から日本に興味を持ち、日本語も学んでいた。そんな憧れの地で新たな一歩を踏み出して半年になる女性の思いとは。【鈴木悟】

 9月中旬、横浜市内の市営住宅を訪ねると、タマラ・バルビンスカさん(44)は記者を前に、日本語で日本への感謝の思いを口にした。「日本はきれいで食べ物がおいしいし、人が優しい」。自治会から生活支援を受けるほか、市内のディスカウントストアでの職も得た。週4回働き、仕事が終われば、自宅で娘のマリアさんと過ごす日々だ。

 「分からないことがあれば、いつも自治会に聞いていて、とても助かっています」。9月7日には、市営住宅に住むタマラさんを含めてウクライナ人の3家族を励まそうと、自治会や商店会が懇親会を開いた。浴衣の着付け体験を行った後、商店会が料理を持ち寄り、白ワインを飲んで盛り上がった。

横浜市内の自治会の協力で、浴衣の着付け体験を行ったタマラ・バルビンスカさん(右から2人目)らウクライナからの避難民。中央が娘のマリアさん=自治会提供 拡大
横浜市内の自治会の協力で、浴衣の着付け体験を行ったタマラ・バルビンスカさん(右から2人目)らウクライナからの避難民。中央が娘のマリアさん=自治会提供

 タマラさんは中部チェルカーシ出身。国立大学で心理学者として働く傍ら、日本語の勉強も続けてきた。そんな平穏な生活は、ロシアのウクライナ侵攻で一変した。暮らしていたチェルカーシでも昼夜を問わず警報が鳴りやまない日々が続き、砲撃で橋が壊される被害も出た。タマラさんは知人のつてを頼って、マリアさんを連れて3月26日に来日。以前から横浜市で暮らしていたウクライナ人の知人宅に身を寄せた後、6月上旬に市営住宅で暮らし始めた。

 来日して3日後のことだ。首都キーウ郊外のイルピンで暮らしていた元夫のエフゲニー・カルロフさん(44)が殺害された。戦闘から逃れるため地下に避難していたが、街に侵攻してきたロシア軍に抗議しようと外に出た際、ロシア軍に連行されたのだ。そのまま戻ることはなく、後頭部を撃たれた状態で見つかったという。

横浜市内の商店会や自治会の呼びかけで、タマラ・バルビンスカさん(中央の赤色の洋服の女性)らウクライナからの避難民を招いて開かれた懇親会=自治会提供 拡大
横浜市内の商店会や自治会の呼びかけで、タマラ・バルビンスカさん(中央の赤色の洋服の女性)らウクライナからの避難民を招いて開かれた懇親会=自治会提供

 タマラさんとエフゲニーさんはマリアさんの出産後に離婚し別々に暮らしていたが、父娘は定期的に会い、仲が良かったという。タマラさんは涙をこらえながら振り返る。「娘のマリアにはずっと言えなかった。ずっとモヤモヤしていた。ようやくマリアに告げると、彼女は2日間ずっと泣いていました」

 タマラさんの祖父母のうち2人はロシア人。そのルーツに誇りを持ってきた。「ウクライナ人とロシア人は戦争をしないと信じてきた。だってシスター、ブラザーだから。いまだに戦争が起きたことは信じられない」

 日本への感謝、元夫を亡くした喪失感、望郷の念。そんな複雑な思いを抱えながらの日本での生活も間もなく半年になる。砲撃や銃弾におびえる必要もなく、徐々に生活にも慣れてきた。ただいつかはウクライナに戻りたいと言う。「母もウクライナに残っている。娘のクラスメートもたくさんいる」。再び祖国で暮らすことを願いながら、「大好きな日本」での暮らしがもうしばらく続きそうだ。

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