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安倍元首相の「国葬」 合意なき追悼の重い教訓

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 参院選の遊説中に銃撃され亡くなった安倍晋三元首相の「国葬」が、厳戒下で営まれた。

 首相経験者としては戦後2例目となり、1967年の吉田茂元首相以来55年ぶりである。

 三権の長や海外の要人ら4000人以上が参列し、会場外の献花台には長い列ができた。岸田文雄首相は弔辞で、「開かれた国際秩序の維持増進に、世界の誰より力を尽くした」と功績をたたえた。

 凶弾に倒れた故人を悼む機会を設けること自体には、異論は少ないだろう。

 しかし、国葬反対の声は日を追うごとに高まり、毎日新聞の直近の世論調査では約6割に上った。一部の野党幹部が参列せず、反対集会も開かれた。

分断招いた強引な手法

 岸田首相は当初「国全体で弔意を示す」と説明したが、幅広い国民の合意は得られず、かえって分断を招いた。

 その責任は、国葬という形式にこだわり、強引に進めた首相自身にある。

 そもそも政治家の国葬には、明確な基準や法的根拠がない。そうであれば、主権者である国民を代表する国会が、決定手続きに関与することが不可欠だったはずだ。

 だが、首相は「暴力に屈せず、民主主義を守る」と言いながら、国会に諮らず、閣議決定だけで実施を決めた。議会制民主主義のルールを軽視し、行政権を乱用したと言われても仕方がない。

 国葬には約16億6000万円の国費がかかり、国会の議決を経ない予備費からも支出される。

 「安倍氏をなぜ国葬とするのか」という根本的な疑問は、最後まで解消されなかった。

 歴代最長の通算8年8カ月間、首相を務めた安倍氏だが、退陣してまだ2年で、歴史的な評価は定まっていない。森友・加計学園や「桜を見る会」などの問題も未解明のままだ。

 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との深い関わりが発覚したことが、反対論に拍車をかけた。自民党議員と教団の重要な接点となっていた疑いが浮上している。

 ところが岸田首相は、安倍氏が死去したことを理由に調査を拒んでいる。閣僚や自民党議員に対する調査も不十分だ。疑念にふたをしようとする姿勢に、国民の不信が深まった。

 批判の高まりを受け、「弔意を強制するものではない」と首相は繰り返した。自治体や教育委員会などに対する弔意表明の協力要請も見送った。

 無理を通そうとした結果、国葬色は薄れて、名ばかりのものとなった。

 実施決定から約1カ月半後に、ようやく開かれた衆参両院の閉会中審査は、わずか計3時間にとどまった。首相の答弁は説得力に欠けた。

 国葬を強行した手法は、首相が掲げる「聞く力」や「丁寧な説明」とは程遠い。かつて安倍・菅両内閣が独断で物事を決め、異論に耳を傾けなかったことに対する反省はうかがえない。

前例にしてはならない

 一連の経緯から浮かび上がったのは、政治家の国葬は、価値観が多様化する現代になじまないということだ。

 戦前・戦中には、皇族だけでなく、軍功があった人物も国葬とされ、国威発揚の手段に使われた。その反省から、旧国葬令は敗戦直後に廃止された。

 吉田元首相の国葬の際にも、基準の曖昧さや法的根拠の欠如が問題となった。

 このため75年の佐藤栄作元首相の葬儀は、内閣・自民党・国民有志の「国民葬」として行われた。80年の大平正芳元首相以降、内閣と自民党による「合同葬」が主流となってきた。

 国民の理解を得て、静かに故人を送る環境をどう整えるのか。半世紀以上にわたり、首相経験者の国葬が行われなかったのは、対立や混乱を避けるための政治的な知恵だった。

 にもかかわらず岸田首相は、国葬の実施について「時の政府が総合的に判断するのが、あるべき姿だ」と強弁した。それでは、恣意(しい)的に運用される恐れがあり、特定の政治家への弔意を国民に強いることにもつながりかねない。

 そうした事情への配慮を欠いたことが、追悼の環境を損ない、分断を深めてしまった。前例とすることがあってはならない。

 今回の国葬の重い教訓である。

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