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いつも前向きなエネルギーの塊のような人が、怒りに震えているように見えた。「かつては確かにあった『楽しさ』や『憧れ』がこの業界から失われてしまった」
11月で85歳になる。その人生のほとんどを「戦後長く、一人前の産業とは見なされてこなかった」という外食を成長させ、そこで働く人たちを幸せにするためにささげてきた。業界団体のトップにも就き、BSE(牛海綿状脳症)発生による米国産牛肉の全面禁輸など危機に陥った業界を救おうと闘い続けた。
しかし、現状はどうか。安売り競争が常態化し、各社はコストカットにしのぎを削る。当然、提供する料理のレベルは落ちる。社員やアルバイトの労働環境悪化が引き起こした悲しいニュースも後を絶たない。
「わくわく感あった」外食産業の幕開け
「外食は、当時の日本人が食べたことがないような料理を紹介することで新たな価値を提供してきた。だから常にわくわく感があった」。黎明(れいめい)期にはファミリーレストランが見合いの場所に使われることもあったという。そんな華やかな時代を知るからこそ、悔しさを感じているのだろう。「このままでは駄目だ。もう一度、原点に立ち返る必要がある」
横川竟(きわむ)さん。外食産業に身を置く人で、その名を知らない人はいないだろう。1970年、横川さんが兄弟4人で東京・府中で始めた1軒のレストランが、日本の外食産業の幕開けを告げることになるからだ。…
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