アントニオ猪木さん「闘魂」の原点 希代の役者が追求したプロレス道

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赤いマフラー姿でポーズを取るアントニオ猪木さん=東京都武蔵野市で2019年9月2日、佐々木順一撮影
赤いマフラー姿でポーズを取るアントニオ猪木さん=東京都武蔵野市で2019年9月2日、佐々木順一撮影

 スポーツなのか、エンターテインメントなのか。まか不思議なジャンルであるプロレスを一大娯楽として再構築したのが、1日に亡くなったアントニオ猪木さんだ。希代の「役者」だった。

 幼い頃に一家で横浜から移住していたブラジルで「日本プロレス界の父」力道山さん(1963年死去)にスカウトされ、60年に日本プロレスへ入門。抜群の身体能力で、同期だったジャイアント馬場さん(99年死去)とともに頭角を現した。

 しかし、日本プロレスの経営を巡って対立、追放されて72年に新日本プロレスを設立。その激しいファイトで「燃える闘魂」が代名詞となった。「プロレスの神様」と呼ばれたカール・ゴッチさん(2007年死去)仕込みのテクニックに裏打ちされた「ストロングスタイル」で、純たる格闘技性をアピールした。だが、本質は…

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