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国内外の異なる部署で取材する14人の中堅記者が交代で手がけるコラム。原則、毎日1本お届けします。

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「私は中国人」アイデンティティーを意識させた10年前の反日デモ

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中国国旗を掲げて尖閣諸島の国有化に抗議するデモ隊の参加者=上海市内で2012年9月16日、隅俊之撮影
中国国旗を掲げて尖閣諸島の国有化に抗議するデモ隊の参加者=上海市内で2012年9月16日、隅俊之撮影

 9月29日で日中国交正常化から50年を迎えました。隣り合う二つの国は、相手が嫌だからといってもどこかに引っ越しすることはできません。けれど、考えなければならないことは山ほどあります。上海特派員として10年前、沖縄県・尖閣諸島を日本政府が国有化したことで激化した反日デモを取材した時の経験と、その後を2回にわたって振り返ってみます。【ニューヨーク隅俊之】

 あれはいろいろな意味で、中国人が国家というものを強く意識した時の一つだったと思う。

 10年前の2012年9月16日、上海の総領事館近くの路上には午前中から数百人が詰めかけ、「釣魚島(尖閣諸島)を返せ」と叫んでいた。武装警察が二重の隊列で壁を作り、デモ隊が総領事館に近づくのを阻止しようとするが、勢いは収まらない。やがてデモ隊は総領事館の前になだれ込むと「国恥を忘れるな」と書かれた紙を掲げて、抗議を繰り返した。

 「なだれ込む」と書いたが、デモ隊が抗議していたのは、総領事館前の道路を挟んで反対側の鉄柵で仕切られた歩道だ。警察官が柵の前で「交通整理」しており、一定の時間が過ぎると「はい、次の人たち」というふうにデモ隊に指示し、また次の人たちが抗議するという形だった。日本メディアも含めて私たち記者は、総領事館前に警察当局が柵で囲った「取材コーナー」で写真を撮っていた。

 ずいぶんと間抜けな光景だが、デモ隊が暴徒化して手をつけられなくなれば、地元警察の責任問題になる。当局側もとても気を使っていた。警察官が、デモ隊に紛れ込んでいた私を見つけて「取材コーナー」に無理やり押し込んだのは、「取材妨害」の意図というよりも、外国人の記者、しかも日本の記者が暴行を受けてけがでもしたら大変なことになる、という懸念からだった。

 当局側が心配した通り、興奮冷めやらぬデモ隊の一部は午後になって警察官の指示を無視してデモ行進を続け、日本人が多く暮らす総領事館近くの古北地区のマンション街に進んだ。日本食品を扱うスーパーのドアを蹴り、ペットボトルを投げつけた。「日本人を殺せ」と過激なことを叫ぶ人もおり、見つかってはたまらないと、カメラをこっそりとリュックサックにしまい込んだのを覚えている。

 ただあの時、現場を覆っていたのは日本への怒りというよりも、中国人としての陶酔に近かった。

 日本人からすれば語弊があるが、デモを終えた人々の顔は達成感でいっぱいだった。中国人として大規模なデモという形で「国」を代弁できる機会は反日デモ以外にそれほどなかった。「あれは出稼ぎの貧しい人たちが」と見下した言い方をする中国人の友人もいたが、現場で出会った東北地方出身で衣料品販売業として成功した女性は明らかに富裕層で、イタリア製のカバンを肩に掛けて「日本の政治家の右傾化」を糾弾していた。

 冒頭で「いろいろな意味で」と書いたのは、冷めた目線で見る中国人にとっても、反日デモは国家というものを少なからず意識する時だったと思うからだ。

 前日の9月15日、上海の隣・江蘇省蘇州の日系の飲食店が集まる繁華街が、暴徒化した反日デモに襲撃された。その日夜、高速鉄道(新幹線)で現場に入った私は言葉を失った。略奪被害にあった飲食店の床は日本酒の酒瓶が転がり、店の前で中国国旗を手に人々が笑顔で記念撮影をしていた。「釣魚島は中国のもの。祖国万歳」。ドアに張られた張り紙は暴徒たちの「達成感」を示していた。

 驚いたのは、取材を終えて帰ろうと乗ったタクシーの中での出来事だった。…

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