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東京大空襲が始まった1945年3月10日午前0時過ぎを挟み、米爆撃機B29の3機が1~2時間置きに、宮城県の蔵王連峰の同じような場所に相次いで落ちるという不可解な墜落があった。「B29墜落の謎と東北空襲」の著書がある元教員で「岩手・戦争を記録する会」事務局長の加藤昭雄さん(76)=岩手県花巻市=は「全て部隊が違うし、それぞれどこへ行こうとしたのか、なぜ墜落したのか謎だらけ」と話す。
現場は蔵王南部の不忘山(1705メートル)の南斜面と南西斜面、尾根でつながる2キロ北の屏風岳(1825メートル)の西斜面。ほとんどが20代の計34人全員が死亡した。米軍の「作戦任務報告」によると、空襲のため3月9日にサイパン島やグアム島から325機が出撃し、海上不時着などで14機を「損失」。蔵王3機はこのうちの「行方不明」に含まれているとみられる。
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