注目の陰で苦悩も 8人の沖縄県知事、その生の姿は

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会談を前に談笑する大田昌秀沖縄県知事(左)と橋本龍太郎首相(いずれも当時)=首相官邸で1996年9月10日撮影
会談を前に談笑する大田昌秀沖縄県知事(左)と橋本龍太郎首相(いずれも当時)=首相官邸で1996年9月10日撮影

 日本に47人いる都道府県知事の中で、特にその言動が注目される機会が多いのが沖縄県知事だ。米軍基地問題に対する姿勢が国の安全保障政策にも影響するためで、1972年の日本復帰以降、8人の知事が日本政府との関係に悩みながら県政のかじ取りを担ってきた。「保守系知事は政府と協調し、革新系知事は政府と対立する」。そんな単純化されたイメージは本当か。沖縄国際大准教授の野添文彬(ふみあき)さん(38)は9月に出版した「沖縄県知事 その人生と思想」(新潮選書)で疑問を投げかける。

 沖縄では知事選のたびに保守陣営と革新陣営が激しい争いを繰り広げてきた。これまで保守系と革新系の知事がそれぞれ3人、2014年以降は革新に保守の一部が加わった「オール沖縄」勢力が推す知事2人が連続して就く。

 「(沖縄県知事の)頭の中の7~8割は基地問題で占められる」。野添さんが著書の冒頭で紹介するのは、98~06年に知事を務めた稲嶺恵一氏の言葉だ。米国統治下から日本に復帰した後も沖縄には多くの米軍基地が残り、米軍による事件・事故や騒音などの問題が絶えず起きてきた。日米安保を支持する保守系知事であっても、県民の命や生活を脅かす基地問題を軽視するわけにはいかなかった。

 その一例が、自民党衆院議員から知事に転身した西銘(にしめ)順治氏(在任78~90年、故人)だ。西銘氏は85年、沖縄県知事として初めて米国を訪れ、国防長官らに基地の整理・縮小を求めた。米軍の事件や事故が相次ぎ、県民の怒りが高まる中、「現地軍と交渉しても、らちがあかない」と感じ、「直訴」を決意した。

 自民の支援で98年に知事に就いた稲嶺氏も、米兵による凶悪事件の続発に憤り、米軍関係者の権利などを定めた「日米地位協定」の改定を日米両政府に迫った。野添さんは西銘氏を取り上げた章でこう書く。「西銘の『保守』とは、現状をそのまま容認したり、単に日米両政府に追随したりすることではなかった」

 一方、日米安保体制に否定的な革新勢力に推された知事も就任後は難しいかじ取りを迫られた。90~98年に知事を務めた大田昌秀氏(故人)は、…

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