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ウクライナのユダヤ人と北海道のウイルタ 民族の痕跡

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ドキュメンタリー映画「バビ・ヤール」の一場面。ナチスが侵攻したウクライナでソ連の独裁者、スターリンの肖像画が引き裂かれる=ⒸAtoms & Void
ドキュメンタリー映画「バビ・ヤール」の一場面。ナチスが侵攻したウクライナでソ連の独裁者、スターリンの肖像画が引き裂かれる=ⒸAtoms & Void

 公開中のウクライナのドキュメンタリー作品「バビ・ヤール」(セルゲイ・ロズニツァ監督)が、コアな映画ファンらの間で話題です。描くのは、第二次大戦中に首都キーウ(キエフ)郊外で起きたユダヤ人大虐殺。同時代の日本にも通じる、民族の交錯と戦火の痕跡を考えます。【オピニオングループ・鈴木英生】

 1941年9月29、30日。ナチス・ドイツ占領下のキーウ郊外、バビ・ヤール渓谷でユダヤ人3万3711人が殺された。映画は、その経過を記録映像の再構成で描く。西ウクライナ、リビウでのユダヤ人迫害の映像も出てくる。キーウでもリビウでも、ウクライナ人は虐殺を傍観し、ときに加担した。

 この映画、戦争までの経緯をほぼ語らない。代わりに、市民がドイツ軍を歓迎するさまを映す。自国の負の歴史を直視するロズニツァ監督の真摯(しんし)さは疑いえない。だが、ロシアがウクライナ侵略の理由を「非ナチ化」と主張する今、注釈抜きでは誤解を招きかねないとも思う。

 虐殺の背景を、西ウクライナを中心にしたユダヤ人史「ガリツィアのユダヤ人」(野村真理金沢大名誉教授著)などで知った。14世紀にウクライナの広範囲を支配したポーランドは、ユダヤ人を手先に使った。以後、ロシア人やドイツ人らもウクライナを支配する。豊かな商人や専門職が目立ち、異質な宗教と文化のユダヤ人は、圧政への怒りのはけ口などとして迫害され続けた。

 第一次大戦後に成立したソ連は、30年代の農作物徴発などで400万人ともいうウクライナ人に餓死を強いた。第二次大戦初期に、ポーランド領だった西ウクライナをも併合する。民族平等が建前の社会主義体制で、警官や官僚として名実ともにウクライナ人の上に立つユダヤ人も生まれた。

 こうした圧政と差別意識の蓄積が、ナチスを解放者と見なし、協力する空気につながった。リビウでは虐殺などの末、41年に13万5000人いたユダヤ人が44年には1689人と1%強に減った。

 戦後、ポーランドと(ソ連下の)ウクライナは、互いの国に何世紀もいた相手国の民族を移住させ合い、晴れて「単一民族国家」となる。西ウクライナにいたユダヤ人の多くは、ポーランド経由で米国やイスラエルへ。ソ連は反ユダヤ主義に傾き、ユダヤ人虐殺の記憶は長く封印された。

 つまり、かの地は加害と被害の歴史が幾重にも折り重なっている。そのうえで、「ウクライナもロシアも、ユダヤ人への加害の過去をあまりに清算してこなかった」(野村名誉教授)。自国の歴史を自ら告発するロズニツァ監督の姿勢こそ、その清算に資するはず。ロシアの「非ナチ化」は、あまりにもご都合主義だろう。

 終戦後は、日本周辺でも人々の大移動があった。日本人が大陸や南方から、朝鮮人らが日本本土から……。計800万人以上にのぼる。ただし、先祖代々何百年もの地を離れた例や民族の消滅はほぼない。と、筆を置きかけたところで、自宅の棚に飾った木彫り人形、セワポロロと目が合った。この人形の由来を前々から書きたかった。

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