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1917(大正6)年8月14日朝。阪神鳴尾運動場で、現在の夏の甲子園のルーツである第3回全国中等学校優勝野球大会が始まった。大阪・豊中グラウンドから鳴尾に会場を移した最初の大会だ。
前年に阪神電鉄は鳴尾競馬場内に、1周800メートルの陸上競技用トラックを造成し、鳴尾運動場をオープンさせた。「球場を二つ用意できれば会場を移す」との主催者の意向があり、トラック内部に野球場2面を増設。阪神の輸送力も評価され、会場移転が実現した。この年に始まった入場式では、大優勝旗を持つ慶応普通部を先頭に地方大会優勝の12校が行進した。
大会初日、第2日に各3試合があり出場校は2日間で1回戦を終え、6校が残る。その6校が第3日に3試合すれば、3強が決まる。一方、第2球場を使っての敗者復活戦は、初日の本戦で敗れた3校中2校が抽選で復活。第2日にその2校が戦い1校が残る。同じように第2日の本戦で負けた3校も2校が復活し、第3日の午前に対戦する。午後は復活戦の勝者同士が対戦し、勝ち上がりの1校が決まる。この1校と本戦の3強を合わせた4…
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