「嫌よ嫌よ」は好きなのか? 言葉のねじ曲げ問うエッセーが好評
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自分の言いたいことが相手の都合の良いようにゆがめられ、解釈された経験はないだろうか。この時、会話という舞台で一体何が起きているのか。そんな、言葉とコミュニケーションにおける暴力や駆け引きをめぐるエッセー集が読者を広げている。講談社から7月に刊行された「言葉の展望台」。著者の三木那由他(なゆた)さん(36)は本書を書き進める中で、自身がトランスジェンダーであることも打ち明けた。哲学者の「私」と生身の人間としての「私」。その間でつづられる明快で切実な語りが共感を得ている。オンラインで話を聞いた。
性的少数者であることのカミングアウトを支援し、祝福する10月11日の「国際カミングアウトデー」。この日、それに便乗する形で企業や自衛隊が不適切な発言をツイッターに投稿し、謝罪するケースが相次いだ。本来、社会構造上の問題を背景に用いられる「カミングアウト」には、自分のことを公にするリスクや覚悟があるはずなのに、マジョリティーによって「ちょっとした打ち明け話」程度に扱われることで元来の用法が無力化されてしまう。本書はこうした、日々に転がる言葉の作用や会話がもたらす結果について、哲学というレンズを通して考えることを試みる。
三木さんは大阪大で教壇に立つ言語哲学者。初のエッセー執筆は「自分が学んできたことを使ってこういう見方ができるんだ、こんなふうに見える風景を変えられるんだ、みたいなことを自分で味わう感じがあった」といい、「理論を現実の事象に応用して物事を見るきっかけになりました」と話す。本書の翌月に刊行された「会話を哲学する」(光文社新書)では漫画や小説などを題材に会話を分析し、いずれも4刷と好評だ。
聞き手が意味を独占
「コミュニケーションは常に公平であるとは限らない」と三木さんは考える。それゆえ…
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