「アイヌはここにいます」 宇梶静江さんが伝え続ける“生き方”

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宇梶静江さん。「アイヌ復権運動の先駆者」というイメージはすっかり霧散し、その表情はどこまでも穏やかだ=北海道白老町で2022年9月29日、貝塚太一撮影
宇梶静江さん。「アイヌ復権運動の先駆者」というイメージはすっかり霧散し、その表情はどこまでも穏やかだ=北海道白老町で2022年9月29日、貝塚太一撮影

 「内なるアイヌ」とどう向き合えばいいのか。葛藤を抱え続け、迷路に入り込んでいた。北海道を離れた都会の雑踏でアイヌの「同胞」とすれ違っても、互いに目をそらしたこともある。「アイヌ復権運動の先駆者」と呼ばれる宇梶静江さん(89)の青春時代は出自を隠し、そして心の中で触れることも避けてきた。

 暗い視界は、突然開けた。1996年に札幌市内のデパートで開かれていた展示会で、古い布を使った絵に目がくぎ付けとなった。野良着に継ぎを当てたり、糸目で表現したりする絵だった。「火を噴くようにかっと体が燃え上がったようでした。『布で絵が描けるんだ、これだ』と思ったのです」。この時、60代。幼少期から好きだった絵に閉じ込めた感情をぶつけた。

 古布でまず描いたのは、アイヌ語で「コタンコロカムイ」(村の守り神)と言われ、村を見張って危険を知らせると信じられてきたシマフクロウだ。その大きく見開いた目をあえて真っ赤に染めた。世間から存在を無視され続けたアイヌの人々――。こんなメッセージを込めた。「アイヌはここにいますよ。あなたたち、私たちが見えますか」と。

 アイヌの伝統的刺しゅうの技法を基に、何枚も古い布を重ね、アイヌに伝わる叙事詩「ユーカラ」を表現した古布絵(こふえ)の世界を切り開いた。その活動が評価され、2011年に吉川英治文化賞を受賞。作品展や講演を行ってきたほか、アイヌを題材とした詩も発表してきた。「苦しんだ末にカムイ(神)が古布絵に導いてくれました。本当に感謝の気持ちしかない」

 日高山脈を望む北海道旧荻伏(おぎふし)村(現浦河町)のアイヌ集落で6人きょうだいの次女として生まれた。父は昆布採りや木材の伐採で生計を立てていたが、太平洋戦争の食糧難で家は貧しかった。

 明治初期、北海道の開拓経営のために置かれた開拓使はアイヌの呼称を「旧土人」に統一した。現代では耳を疑いたくなるような呼称だが、1899年にはアイヌを保護する名目で北海道旧土人保護法が制定された。土地を与えて農業を奨励することなどを盛り込んだが、共有財産は道庁長官(当時)が管理するなど実際は日本人への同化を強いるものだった。宇梶さんが生まれたのは、アイヌへの差別が色濃い時代だった。

 幼少期に過酷ないじめに遭った。「毛深い」となじられ、…

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