霊術からサルトルへ 京の土蔵に封印された老舗出版社の“裏歴史”

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1966年、人文書院と慶応大の共同招へいで来日したサルトル(中央左)とボーボワール(中央右)。奈良の観光に、人文書院2代目社長、渡辺睦久(左端)と翻訳者の朝吹登水子(右端)が同行している=人文書院提供
1966年、人文書院と慶応大の共同招へいで来日したサルトル(中央左)とボーボワール(中央右)。奈良の観光に、人文書院2代目社長、渡辺睦久(左端)と翻訳者の朝吹登水子(右端)が同行している=人文書院提供

 戦後、日本に実存主義ブームを巻き起こした出版社の源流は霊術団体だった――。フランスの哲学者サルトルの全集刊行を1950年、国内でいち早く始めた「人文書院」。その前身である「日本心霊学会」の実態が近年の調査で明らかになってきた。22年に京都で同学会の出版部として出発し、今年で創業100年。社員の間でもうわさ程度にささやかれ、長く封印されていたという“裏歴史”をひもときたい。

 事の始まりは2013年、京都市内にある創業者、渡辺久吉(1885~1975年)旧宅の土蔵から機関紙「日本心霊」の束など大量の関係資料が見つかったことだった。「これは絶対に歴史的な価値があると思いました」。久吉の孫で、発見した3代目社長の博史さん(64)は振り返る。

 日本心霊学会については、同学会刊行の古い本が社内に数冊残っていたが、その存在に「社員はうすうす気づいているくらいで、私自身も詳しくは知らなかった」という。博史さんは半世紀以上「開かずの扉」だった土蔵に入り、懐中電灯の光を頼りに膨大な資料を整理。ほぼ全号そろった新聞紙大の機関紙約700部をはじめ、日本心霊学会発行の書籍や写真、書簡、さらには当時社内で使われていた机や椅子などが出てきた。

 だが、そのことを2代目社長だった父、睦久(1920~2015年)に告げると、とたんに先代の機嫌は悪くなったという。「父は霊術団体だった過去を恥だと思い、隠してきた。名前が名前だけに色眼鏡で見られるのが嫌だったんでしょう。でも僕らからすると…

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