次代への遺言~私が見た戦争

水戸空襲生き延びた小菅次男さん(86) 降り注ぐ焼夷弾、一人の夜

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水戸空襲を経験した小菅次男さん=水戸市で2022年9月5日、渡部直樹撮影
水戸空襲を経験した小菅次男さん=水戸市で2022年9月5日、渡部直樹撮影

 「『おかーちゃん、おかーちゃん!』って叫んでも、見つからないんですよ」。1945年8月2日未明、米軍機が焼夷(しょうい)弾など約1145トンを投下し300人以上が亡くなった水戸空襲。今も水戸市に住む小菅次男さん(86)は、焼夷弾の落ちてくる中、家族とはぐれてひとりぼっちで逃げ惑っていた。

 36年生まれ。父が働いていた常陽銀行の市内の社宅で育ち、空襲当時は国民学校の3年生だった。45年8月1日夜、危険を知らせる警報を聞いて家族で銀行敷地内にあった防空壕(ごう)に避難したという。空襲が始まったのは翌日の午前0時半ごろ。壕の中にいたが、やがて「ドーン」という音が響き、周辺が明るくなった。父に「もうこれはだめだから、逃げろ」と言われ準備を始めた。

 9人の大家族だった一家は、小さい子どもたちに目が行き届くよう、有事の時には3班に分かれて逃げることをあらかじめ決めていた。次男だった小菅さんは母と末の妹とともに、市街地の北側を流れる那珂川を目指し、火の手が上がる町中を走り出した。しかし、川へと向かう狭い道に大勢の人が集中したことで、母を見失ってしまう。一人きりになり、近所の人とともに竹林の中を逃げ惑って降り注ぐ焼夷弾をやり過ごした。「『こんどは…

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