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ドナルド・キーンが描いた日本――生誕100年に

源氏物語をはじめ日本の文学や文化の魅力を世界に紹介した故ドナルド・キーンさん。生誕100年を機に、膨大な英語の著作から、その言葉の意味を考えます

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ドナルド・キーンが描いた日本――生誕100年に

/18 研究者としての挫折 そして日本へ

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2017年6月、久しぶりにケンブリッジ大学をゆっくりと歩いて回ったキーンさん。学生の街の風景は、当時のままだった。(ドナルド・キーン記念財団提供)
2017年6月、久しぶりにケンブリッジ大学をゆっくりと歩いて回ったキーンさん。学生の街の風景は、当時のままだった。(ドナルド・キーン記念財団提供)

 20歳代の後半を英国のケンブリッジ大学で過ごしたドナルド・キーンさん。自らの研究の一方で、教師としての第一歩を歩き出したが、悩みも多かった。1948年から5年近くに及んだケンブリッジ時代には、「The Battle of Coxinga(邦題・国性爺合戦(こくせんやかっせん))」(51年)、「The Japanese Discovery of Europe (同・日本人の西洋発見)」(52年)の2冊の英書を出版した。しかし、なかなか本人の思い通りにはいかない現実もあった。当時の自伝を見てみよう。

My life in Cambridge was in most ways ideal for a scholar. My teaching load was light, and the vacations totaled more than six months each year. The collection of Japanese books in the University Library, at first restricted to the rare editions of the Tokugawa period given to the library by Aston and other pioneers in the domain of Japanese studies, had now been much augmented by purchases of modern books, and it was certainly adequate for my needs.

(中略)

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