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2021年開催の東京パラリンピック競泳男子100メートルバタフライ(視覚障害S11)金メダリスト、木村敬一さん(32)=東京ガス=が、10月16日に初開催された「東京レガシーハーフマラソン」(東京・国立競技場発着)に出場し、2時間23分2秒で完走した。東京パラリンピックの盛り上がりを継続させたいとの思いで取り組んだ、人生初のハーフマラソン。その挑戦を追った。
木村さんは、08年北京でパラリンピック初出場。4大会連続出場となった東京で初めて金メダルを獲得した。積年の目標を達成した後、「自分は何をし、どう成長したら良いか」。水泳以外のことも、少し考えるようになっていったという。
そんな木村さんに、スポーツ用品メーカーのアシックスからこの大会への参加が打診されたのは7月中旬。「東京パラリンピックで広がった障害者スポーツへの理解をさらに深める機会にしたい」という大会の理念に共感し、「選手である今なら、この体でパラ競技の盛り上げに加わることができる」との思いで出場を決めた。
実は、参加については「8月初めまで迷った」という。長距離を走った経験といえば、「小学校のマラソン大会で2キロほど走ったのが最長」だったという木村さん。8月31日には都内で足形測定などを行った後、皇居近くで1キロ余りを試走したが、「暑い」「足への衝撃がしんどい」と早速不安を漏らした。
それでも、柔道整復師でコーチ役の森川優さん(34)、伴走者の福成忠さん(52)のサポートで、ジャパンパラ水泳大会(9月17~19日、横浜市)を挟んで週3日、計100キロと練習を重ねた。しかし、「準備期間が短く、無理はあったのだと思います」と木村さんが明かす。練習で走ったのは最長で15キロ。「普通はレースより練習の方がつらいはずなんです。でも、私の場合はレースの方がはるかにしんどかったのですから」
レース当日、「楽しいのは8キロまでだった」と振り返る。伴走者の福成さんに「マラソンは社交的スポーツなんです。いいでしょ」と話しかけられたのが7キロ付近。「多くの人が応援に来ていて、思っていた以上にさまざまな人に見てもらえた。沿道から声を掛けていただけた時はすごくうれしかった」。ただ、「そこから先は過酷で……。フィニッシュ後は足の痛みと疲労で、達成感を味わうゆとりもなかった」という。
とはいえ、2時間余りも観客や他の選手と空間を共にするのは、水泳とは全く異なる体験。「走ってみて良かった」という言葉には実感がこもる。「ハーフマラソンに取り組んだ1カ月半は発見がたくさんあって、充実していた。良い時間が過ごせた」と感じている。
木村さんは東京パラリンピックでの金メダル獲得後、「いかにして活動の幅を広げるか」を模索してきたという。ハーフマラソンに取り組んだのも、「水泳競技以外の活動」への挑戦の一環。その意味でも、「金メダリストの挑戦」が注目される中で完走することができ、「ほっとしています」と頰を緩める。
今年4月、これまで1年ごとに契約を更新してきたのを改め、東京ガスの正社員になった。その東京ガスにも、金メダリストの存在に勇気づけられる人がいる。ハーフマラソンに臨む木村さんを応援しようと、10月4日には東京ガスグループとアシックスの社員らが木村さんと一緒に走る「応援ラン」が催された。参加者の一人で、東京ガスネットワーク所属の視覚障害のある女性は17年に入社。社内報などで発信される木村さんの活躍に背中を押され、「私が働くことで、少しでも後に続く人たちの道が開ければ」と考えるようになったという。3キロ余りのコースを木村さんらと一緒に走り、「私も、私なりの挑戦を続けたい」と笑う。
「パラリンピックの盛り上がりを継続してこそのレガシー」との思いで、初めてのハーフマラソンを完走した木村さん。「自分自身も、金メダルにふさわしい人となるべく、成長を止めずにいたい」という。真摯(しんし)に水泳に取り組みつつ、さまざまな挑戦を続けていくつもりだ。【藤倉聡子】