「中ん家」守った妹らに焦点 渋沢栄一記念館で企画展 /埼玉

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企画展「渋沢栄一と『中の家』」で展示されている栄一の書額「不踰矩」=埼玉県深谷市下手計の渋沢栄一記念館で2022年10月26日、中山信撮影
企画展「渋沢栄一と『中の家』」で展示されている栄一の書額「不踰矩」=埼玉県深谷市下手計の渋沢栄一記念館で2022年10月26日、中山信撮影

 深谷市出身の実業家で社会事業家の渋沢栄一(1840~1931年)の関連資料を展示する渋沢栄一記念館(深谷市下手計)で、企画展「渋沢栄一と『中の家(なかんち)』」が開かれている。栄一の生家である「中の家」(同市血洗島)と栄一のかかわりや、栄一が活動の拠点を置いた東京で自らの家を興した後に中の家を守った妹夫婦と息子たちの活躍に焦点を当てている。

 藍玉づくりの名手となって中の家を再興した栄一の父市郎右衛門と母えいとの間には5男8女が生まれたが、無事に育ったのは栄一と5歳上の姉なか、12歳下の妹ていだけだった。同展の年表によると、市郎右衛門が亡くなった1871(明治4)年、ていは親戚の須永家から才三郎を婿に迎え、東京に出た栄一に代わって中の家を継いだ。才三郎は名前を市郎に改め、市郎とていとの間には長男元治と次男治太郎が誕生した。市郎は家業の…

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