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サッカーW杯・カタール2022

サッカー・ワールドカップカタール大会が11月20日に開幕。4年に1度の世界最高峰の戦いの様子をお伝えします

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夢ではないW杯 ドーハの悲劇は何を残したのか/上

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W杯アジア最終予選のイラク戦の後半、勝ち越しのゴールを決めガッツポーズの中山雅史=カタール・ドーハのアル・アリ競技場で1993年10月28日、平野幸久撮影
W杯アジア最終予選のイラク戦の後半、勝ち越しのゴールを決めガッツポーズの中山雅史=カタール・ドーハのアル・アリ競技場で1993年10月28日、平野幸久撮影

 日本サッカーの歴史で「ドーハの悲劇」として語り継がれたカタールを舞台に20日、ワールドカップ(W杯)が開幕する。プロ化間もない日本が29年前、手中に収めかけたW杯初出場を試合終了直前の失点で逃した「悲劇」は、その後に何を残したのか。

 1994年W杯米国大会のアジアの出場枠は2。アジア最終予選は93年10月、6チームによる総当たりのリーグ戦で争われた。

 最終戦のイラク戦は10月28日午後4時15分(日本時間同10時15分)キックオフ。前の試合で韓国を破って首位に立った日本は、勝てばW杯が決まる。同年5月のJリーグ開幕で空前のサッカーブームも巻き起こる中、期待は膨らんだ。

 当時代表の主将だった柱谷哲二さん(58)の兄で、元代表の幸一さん(61)は解説者としてテレビ東京のスタジオにいた。「地下室にはビールとか乾杯の用意がしてあってね。試合前から『行けるぞ』という雰囲気だった」と振り返る。

 しかし日本が2―1とリードした後半終了間際、イラクのオムラム選手にヘディングシュートを決められて引き分けた。日本は3位に沈み、最終戦に勝ったサウジアラビアと韓国が出場権を獲得。スタジオで幸一さんは声を詰まらせた。

 日本サッカー協会専務理事で、後に会長となる小倉純二さん(84)はドーハの貴賓席で他会場の試合をモニターでチェックしながら応援していた。「ショックだった…

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