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サッカーW杯・カタール2022

サッカー・ワールドカップカタール大会が11月20日に開幕。4年に1度の世界最高峰の戦いの様子をお伝えします

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オフト監督とプロ意識 ドーハの悲劇は何を残したのか/中

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座り込んで頭を抱えるラモス瑠偉(中央)に声を掛ける清雲栄純コーチ(右)とハンス・オフト監督=カタール・ドーハで1993年10月28日、藤井太郎撮影
座り込んで頭を抱えるラモス瑠偉(中央)に声を掛ける清雲栄純コーチ(右)とハンス・オフト監督=カタール・ドーハで1993年10月28日、藤井太郎撮影

 「ドーハの悲劇」から4年後の1997年11月16日、マレーシアのジョホールバル。サッカーの98年ワールドカップ(W杯)フランス大会のアジア最終予選第3代表決定戦で日本はイランを破り、ようやくW杯初出場を手にした。

 「悲劇」を経験した選手は4人しかピッチにいなかった。日本フットボールリーグ(JFL)の鈴鹿ポイントゲッターズで現役を続ける三浦知良選手(55)と、J1ジュビロ磐田の中山雅史コーチ(55)、J1柏レイソルの井原正巳ヘッドコーチ(55)、日本サッカー協会参与の北沢豪さん(54)。陣容は変わったが、日本サッカーの歴史が大きく動いた瞬間、ドーハの時に日本代表コーチだった清雲栄純さん(72)は「戦いは続いているんだなあ」との感慨が浮かんだという。

 ドーハで日本を率いたオランダ人のハンス・オフト監督(75)は、初の外国人監督として92年に就任後、アマチュアだった日本に多くのことを持ち込んだ。

 「スモールフィールド」「コンパクトスリーライン」「コーチング・イーチ・アザー」などのキーワードを多用した。選手は漠然と感じていたことを具体的な言葉で指導され、「…

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