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W杯招致の明と暗 ドーハの悲劇は何を残したのか/下

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日韓共催の決定を受け、W杯を掲げる長沼健日本協会会長(左)と鄭夢準韓国協会会長=チューリヒで1996年5月、AP
日韓共催の決定を受け、W杯を掲げる長沼健日本協会会長(左)と鄭夢準韓国協会会長=チューリヒで1996年5月、AP

 サッカー日本代表がワールドカップ(W杯)初出場にあと一歩届かなかった1993年の「ドーハの悲劇」から、出場権を獲得した97年のマレーシアでの「ジョホールバルの歓喜」に至るこの時期、日本サッカー界はもう一つの戦いのまっただ中にあった。2002年W杯の招致レースだ。

 日本サッカー協会は89年11月、国際サッカー連盟(FIFA)に立候補の意思を表明した。FIFAのアベランジェ会長の支持もあって順調な招致に思えたが、94年5月に衝撃が走る。

 アジア・サッカー連盟(AFC)選出のFIFA副会長選挙で、日本協会の村田忠男副会長が韓国協会の鄭夢準会長に大差で敗れたのだ。韓国はW杯招致表明などで出遅れていたが、現代財閥の一員の鄭氏を先頭に、資金力を背景に巻き返しを強めていく。

 両者の招致争いは96年5月、史上初の共同開催で決着し、日本が目指した単独開催はならなかった。南米出身のアベランジェ会長と、欧州サッカー連盟選出のヨハンソン副会長が運営方針を巡って対立し、立場が危うくなったアベランジェ会長が、韓国を推していたヨハンソン副会長側…

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