/48 「帰国」にはやる心、迫る危機に気付かず /岡山
毎日新聞
2022/11/11 15:33(最終更新 11/11 15:33)
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1852年夏。170年前の香港にいた岡山県倉敷市出身の徳兵衛ら、日本人漂流民16人は、50年12月の暴風雨で栄力丸の太平洋漂流が始まって以来、初めて2派に分かれた。
米国からペリー提督が来るのを香港で待つ黒船・サスケハナ号にいた16人のうち、徳兵衛ら9人は米国の保護・管理から逃れて帰国を目指す道を選び、浜田彦蔵(彦太郎)ら7人は鎖国中の日本に米国軍艦で向かうことに不安を抱えながらも、居残ることを決断した。52年6月下旬か7月前半のことだった。
モリソン号事件(37年)により帰国を断念し、香港で暮らしていた先輩漂流民・庄蔵宅で話し合った9人組と7人組は、お互いに先に帰国した側がそれぞれの国元に事情を伝えることを約束(徳兵衛「漂客夢物語」=愛知県西尾市岩瀬文庫蔵)し、これで「今世の暇乞(いとまごい)」になるかもしれない、と、お互いに「袖をしぼり」別れた(文太「漂流記談」)。
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