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元プロ野球選手の村田兆治さん(72)が11日、亡くなった。豪快な「マサカリ投法」で名をはせた村田さんは、その後の多くの投手の「未来」を切り開いた人でもあった。日本球界の投手で利き腕の靱帯(じんたい)再建手術(通称「トミー・ジョン手術」)に踏みきり、初めて復活に成功した先駆者だったからだ。
ロッテの大黒柱だった村田さんは1983年当時、右肘の故障に苦しんでいた。チームメイトだった完全試合達成者の八木沢荘六さん(77)によると、右肘の内側が拳よりも少し小さいほどに腫れており、日常生活にも支障をきたすほど。村田さんはさまざまな事例を調べ、スポーツ医学の権威でトミー・ジョン手術の創始者、フランク・ジョーブ博士を訪ねて渡米し、執刀を受けた。
33歳で、当時なら既に引退を考えてもおかしくない年齢。何より、日本球界では肘にメスを入れるのはタブーだった時代の挑戦だった。
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