「支持率に一喜一憂しない」 国民の声を聞かないってこと?
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いつの頃からだろうか、時の政権関係者の口から「支持率に一喜一憂しない」というお題目が唱えられるようになったのは。私の記憶では、小泉純一郎氏が首相だった時には既に使われていたような気がする。
どこか標語のような響きで、何か深い教訓が備わっているような字面だけれども、本当にそれでいいのだろうか。国民が仕事を「評価してくれている」「信頼してくれている」ということを喜ばしく思い、「評価してくれていない」「信頼してくれていない」ということを憂えるというのが、政治家として当たり前の感性ではないかと思うのだが。「選挙で議席をもらったのだからこっちのものだ」と、まるで全権白紙委任でもされたかのような了見だとしたら、有権者としてこれほど腹立たしいことはない。
河野太郎デジタル相が、テレビの情報バラエティー番組で「次の選挙まで時間がある。支持率で一喜一憂しないのがいいと思う」などと述べた。取りも直さず「国民が文句を言っても取り合う必要も、声を聞く必要もない。しばらくはやりたい放題やらせてもらえばいい」という意味をはらんではいないか。
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