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児童相談所の職員だった若者が7月、残業代などの支払いを千葉県に求める訴訟を千葉地裁に起こした。金銭の問題よりも、サポートの必要な子どもたちを支えるはずの職場の実態を知ってほしいと考えての行動だという。自身が退職した直後には、児相を巡る衝撃的なデータが議会で報告された。「一人一人の子どもたちと向き合うことができなかった」。同じ無念を抱えた人は他にも多くいるかもしれない。そう感じ、男性は声を上げた。【長沼辰哉】
「向き合う時間なかった」
午前7時の起床から午後9時の消灯まで、親からの虐待などで児相に一時保護された子どもたちと過ごし、一人一人の様子を観察して記録にまとめる。
市川児童相談所(千葉県市川市)で、飯島章太さん(29)=埼玉県=はそうした仕事を担当していた。
学生時代は、中央大法学部で法律を学んだ。その中で「子どもの支援について学びたい」との思いが募り、大学院で社会学の道を選んだ。子どもたちの電話相談ダイヤルを開設しているボランティア団体の運営にも関わり、その経験を修士論文にまとめた。
2019年4月、生活指導や成長支援に携わる専門職「児童指導員」として千葉県に採用された。
配属された市川児相の一時保護所は、定員(当時は20人)を超える数の受け入れが常態化していた。20年度の平均入所率は202%と全国の児相でワースト2位を記録。子どもたちを寝室に収容し切れず、リビングなどで寝てもらうこともあったという。
子どもたちのチェックと記録は複数の児童指導員で分担していたが、多いときには飯島さん1人で20人分を担当した。夜中まで残業する日々が続いた。
「5分刻みでスケジュールをこなさないと仕事が終わらず、子どもたちとしっかり向き合える時間はほとんどなかった」
仕事を始めて1カ月とたたず、体調に異変が起きた。寝付きが悪くなり、少しのミスで落ち込み、集中できなくなった。19年7月下旬にうつ病と診断され、休職。その後は復職と休職を繰り返したものの、忙しさは変わらず限界を迎えた。
「もう続けられない」。21年11月末で職場を去った。憧れて飛び込んだ児童福祉の世界なのに、3年も続かなかった。
約1割が「心に不調」
飯島さんが退職した翌月、児相の過酷な実態の一端が千葉…
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