「稗田山崩れ」を防災の“教科書”に 砂防施設見学など通し発信

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奥は稗田山の大規模な崩落斜面。右端は山頂。手前は崩れ落ちた土砂=小谷村の金谷橋で2022年11月7日午後4時28分、去石信一撮影
奥は稗田山の大規模な崩落斜面。右端は山頂。手前は崩れ落ちた土砂=小谷村の金谷橋で2022年11月7日午後4時28分、去石信一撮影

 山崩れの規模から「日本三大崩壊」の一つに数えられる長野県小谷村の「稗田(ひえだ)山崩れ」について、県と村は災害の防災学習や観光振興に結びつける対策の検討を始めた。現場の直下近くまで車で行けるメリットを生かしつつ、数々の砂防施設の見学なども通して災害を後世に伝えるという。

 山崩れは明治末期の1911年8月8日午前3時ごろ、白馬乗鞍岳の東約5キロにある稗田山(1443メートル)の山頂部の北側斜面で発生。幅3キロ、高さ300メートル、厚さ1000メートルの土砂が崩れた。当日の天気は平穏で地震も記録されておらず、原因は不明。ただ、4日前ごろの大雨が引き金になった可能性はある。

 土石流の量は東京ドーム120杯分の1億5000万立方メートルと推定され、谷間の浦川を流れ下って集落を襲い、23人の命を奪った。また、本流の姫川との合流点に達して高さ60メートルのダムを形成。姫川上流数キロの集落まで浸水した。翌12年の4月と5月にも大規模に崩壊し、7月の大雨では天然ダムが決壊。いずれも住宅や農地に大きな被害が出た。

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