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鳴尾球場であった第9回全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園)で、観客があふれ出る「事件」が起きる前年の1922(大正11)年6月28日。県庁の一室で、阪神電気鉄道代表取締役、三崎省三(せいぞう)は、県の三沢寛一・産業部長、村山喜一郎・内務部土木課長ら同席のもと、一通の契約書にサインをした。それは三崎が夢の舞台を手に入れた瞬間であった。
この契約からさかのぼること12年、欧米の視察旅行中のことだ。武庫川の河口をレジャーの王国にする計画を思い立ち、旅先から本社に手紙で送った。まさかその同じ場所で、まとまった土地が売りに出されるとは思いもしなかっただろう。
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