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ペリーから逃れた岡山人・備中徳兵衛漂流記

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ペリーから逃れた岡山人・備中徳兵衛漂流記

/50 「命が助かっただけ幸運」慰められた7人 /岡山

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復刻版・海表叢書第3巻(成山堂書店、1985年刊)に収録された京大図書館蔵「漂流記談」の翻刻文。文太(利七)が秘密の黒船脱走計画失敗後の様子を語っている。
復刻版・海表叢書第3巻(成山堂書店、1985年刊)に収録された京大図書館蔵「漂流記談」の翻刻文。文太(利七)が秘密の黒船脱走計画失敗後の様子を語っている。

 日本がまだ鎖国中だった1852年夏。香港に停泊中の黒船からひそかに逃れ、米国・東インド艦隊に頼らない別の帰国方法に挑んだ日本人漂流民たちは、南京を目指して歩き出して間もなく、銃などを持った数十人の強盗団に囲まれた。金銭から衣類までことごとく奪われて計画を断念。黒船・サスケハナ号に戻ることになった。

 岡山県倉敷市出身の徳兵衛ら漂流民7人のうち、4人は「来た時と同じ道だと、また強盗団に襲われるかもしれない」と別のルートを探り、他の3人は「命の危険があってもかまわない」と元来た道で帰ることにした。

 徳兵衛の体験記には4人と3人の名前が記されており、別ルート組は徳兵衛のほか、鳥取県出身の文太(利七)、兵庫県播磨町出身の清太郎と源次郎だった。雨上がりの昼過ぎで、4人は田畑や溝の中など「道もなき所」を通ったため、足などに多くの傷ができて血まみれになった。徳兵衛は「(太平洋上を)漂流した時よりつらかった」と振り返る。夕暮れ前に香港島の対岸の九竜の町外れにたどり着くと、別れた3人と無事に合流できた。

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