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1973年10月2日の31歳の誕生日に、「尾上菊之助改め七代目菊五郎襲名披露 十月大歌舞伎」は歌舞伎座で初日を迎えた。
襲名にはつきものの贔屓(ひいき)へのあいさつまわりもした。当時の毎日新聞には、同年7月から9月までの3カ月間に約1000軒をまわったとある。「番頭さんと同道で、配り物を持って東京はもちろん、京都、大阪でも朝から晩まで家をまわりました」。失礼だからと、相手には訪問を知らせないのが慣習。在宅まで何度でも訪ねる。初日が開いてからは、夜の部の「襲名披露口上」の前に先輩俳優の楽屋をあいさつにまわった。「当時は先輩だらけ。『お願いします』と頭を下げ通しで疲れました」
昼の部の「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)」の弁天小僧を演劇評論家の三宅三郎は「およそ女形として育ってきたが、父の梅幸とは異なり、強靱(きょうじん)で、積極性もあって芸格もわりあいに大きい。しぜん立役に豊かな可能性をもっている」(「演劇界」73年11月号)、夜の部の「京鹿子娘道成寺」を同・戸部銀作は、「新菊五郎は華やかさがあり、清姫の性根という点で不足があっても、さすがに役者の踊り…
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