したたかさと弱さ同居の江沢民氏 高度成長導くも格差拡大 汚職深刻化

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
江沢民・中国国家主席と会談する森喜朗・自民幹事長=北京・釣魚台迎賓館で1998年11月13日(代表撮影)
江沢民・中国国家主席と会談する森喜朗・自民幹事長=北京・釣魚台迎賓館で1998年11月13日(代表撮影)

 11月30日に死去した中国の江沢民・元国家主席(96)は、1989年の天安門事件の影響で中国が国際社会から孤立する中で、最高実力者だった鄧小平により抜てきされ、党トップの総書記に就任した。そこから2002年までの13年間、鄧に期待された通りに社会の安定を重視しながら、改革・開放政策を継続し、中国を高度成長に導いた。一方で、共産党の質的変化をもたらし、格差拡大や汚職の深刻化につながったとの指摘もあり、その評価は分かれている。

 党トップに引き上げられた当時の党内基盤は弱く、権威不足が指摘されていた。自らも引退直前に当時を振り返り「上海から北京に来た当時、全中国の指導者となる準備はできていなかった」と語っている。しかし、鄧の後ろ盾を背景に、段階的に党・国家・軍のトップを独占し、他のライバルを圧倒した。

 一方、政策決定のスタイルとしては調整型で、話し合いによって意思決定する集団指導体制を定着させた。00年に訪中した米ジャーナリストとのインタビューでは「(最高指導部の)政治局常務委員会は毎週必ず開かねばならず、民主的な雰囲気の中で行われる。共産党以外の党派のトップとも国家の重大事をよく話し合う」と明かした。

 経済改革と同時に国際社会との協調も進めた。鄧が92年に「南巡講話」で一層の改革・開放推進を打ち出すと、江氏は同年10月の党大会で「社会主義市場経済体制」の確立を掲げた。…

この記事は有料記事です。

残り1568文字(全文2160文字)

あわせて読みたい

マイページでフォローする

この記事の筆者
すべて見る

ニュース特集