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今秋東京で開催されたリサイタルから3つの公演をピックアップして振り返る。15歳のピアニスト、アレクサンドラ・ドヴガン(9月26日、紀尾井ホール)、ギリシャ出身でヨーロッパを中心に活躍中のヴァイオリニスト、レオニダス・カヴァコス(10月9日、紀尾井ホール)、そしてミッシャ・マイスキーによるバッハの無伴奏チェロ組曲全曲演奏会(10月31日、サントリーホール)の3公演で、マイスキーから日をさかのぼる形で報告したい。(宮嶋 極)
【ミッシャ・マイスキー J・S・バッハ無伴奏チェロ組曲全曲演奏会】
バッハの無伴奏チェロ組曲全6曲を2回に分けて演奏するリサイタル。取材したのは第3番ハ長調、第2番ニ短調、第6番ニ長調を取り上げた2日目の公演。会場はサントリーホール。
深みのある音色で旋律をたっぷりと歌わせていくバッハはマイスキーならではのスタイル。昨今のトレンドである古楽奏法の要素を取り入れたりすることはなくヴィブラートをタップリとかけて、豊かな響きを紡ぎ出して彼が描くバッハの世界へと聴衆を誘っていく。以前に比べると幾分音程が甘くなってしまう箇所が散見されたが(とりわけ第6番で)、そうしたことが気にならないほどの確信と自信に満ちた演奏は説得力に富み、終演後は客席から万雷の拍手が送られた。
ここで普通なら前日、演奏した曲などの中からいくつかの楽章をアンコールしてお開きとなるのだが、この後がマイスキーにとってはまさに本番の様相を呈したのである。ステージ袖にあったピアノが中央に運ばれると客席からはどよめきが。「私には6人の子どもがいますが、4歳の時に初めて日本に来た次男は今年18歳になりました。ピアニストである次男とバッハのチェロ・ソナタ第3番ト短調を演奏します」とマイスキー。次男であるピアニストのマクシミリアンが父親とおそろいにも見える黒い衣装でステージに登場した。世界中の音楽家から高い評価を得ているサントリーホールの舞台を踏ませようとの親心なのであろうか、ソナタ第3番の全3楽章を弾き切るアンコールとしては異例の展開に。マイスキーは正規のプログラムの時にも増して気迫のこもった演奏で汗だくになったほど。さらにアンコールのアンコールとしてコラール前奏曲「いざ来たれ、異教徒の救い主よ」と管弦楽組曲第3番から「(G線上の)アリア」を親子で演奏。アンコールに要した時間は優に30分は超えていた。長身のマクシミリアンの横で汗だくになったマイスキーは満足そうな笑顔を浮かべていた。なお、マイスキーは1986年の初来日から数えて今回が53回目の日本訪問となる。親日家だけに日本のファンに愛息の音楽家としての成長を披露したかったのだろう。2つのコンサートを聴けたような形となり、マイスキー・ファンにはたまらない一夜になったに違いない。
【レオニダス・カヴァコス J・S・バッハ無伴奏ヴァイオリン・リサイタル】
ギリシャ出身のヴァイオリニスト、レオニダス・カヴァコスもオール・バッハのプログラムを引っ提げて東京、大阪、名古屋で公演を行った。プログラム誌に掲載された音楽ジャーナリスト・池田卓夫氏の原稿によると、カヴァコスは当初、ベートーヴェン生誕250年の2020年から3年間かけて、1年ごとにベートーヴェン、ブラームス、バッハのいわゆるドイツ3大Bの作品を集中的に演奏していくことを計画していたという。ところが新型コロナのパンデミックによって変更を余儀なくされ、21年にブラームス、今年はバッハ、そしてベートーヴェンは来年以降に取り組むことになったのだそうだ。
満を持しての取り組みだけにカヴァコスが聴かせたバッハは旋律の扱い方の細かな部分にまで神経が行き届いていたことが伝わってくる集中度の高い演奏。とりわけ、重音の響かせ方に神経を砕き、曲想によって和音の色合いに変化をつけることにより、各楽章の性格を明確に描き分けようとの意図が感じられた。さらに古楽奏法の要素も取り入れて全編ほぼノー・ヴィブラート、アーティキュレーション(音と音のつなぎ合わせ方)は従来の慣習とはやや異なるやり方で、彼ならではの掘り下げによって作品の新たな一面に光が当てることに成功していた。
終演後、鳴りやまぬ拍手に応えてカヴァコスはいずれもバッハの(演奏順に)無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番から第1楽章、第4楽章、無伴奏パルティータ第2番から第1曲、ソナタ第1番から第3楽章、パルティータ第1番から第7曲、パルティータ第3番から第1曲、と6曲もアンコールするほどのサービスぶりであった。

【アレクサンドラ・ドヴガン ピアノ・リサイタル】
アレクサンドラ・ドヴガン、ロシア出身、2007年7月1日生まれの15歳のピアニストだ。ステージ上の彼女はネットに公開されている動画に比べると少しお姉さんになった印象だったが、それでもまだ少女といっていい年齢だが、既に国際舞台で活躍し始めているというのだから驚きである。
プログラムは前半がベートーヴェンのソナタ第17番ニ短調「テンペスト」、シューマンの「ウィーンの謝肉祭の道化」のドイツもの。後半はオール・ショパンという構成。演奏のスタイルは正攻法で作品にアプローチしていくもので、解釈とその表現方法にまだ研究、研さんの余地が残されているものの、何より驚いたのはその音色である。この若さにして彼女ならではのサウンドを持ち合わせていたからだ。それを言葉で表現するのは難しいが、怜悧(れいり)で凛(りん)としたたたずまいを持ったサウンドとでもいうのであろうか。
よいピアニストはいずれも独自の音を持っている。自分の楽器を持ち歩く人もいるが、基本的にピアノという楽器は、鍵盤を押せば誰でも音が出せる。弦楽器や管楽器に比べると素人目には違いを出すのは難しいようにも思えるが名ピアニストと評価された人は皆、その人ならではの特別な音を出していた。筆者の経験ではウラディーミル・ホロヴィッツ、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ、アルフレート・ブレンデル、マウリツィオ・ポリーニ、ラン・ランを初めて聴いた時、明らかな違いを感じたことを記憶している。つい最近では10月のN響B定期、ヘルベルト・ブロムシュテットの指揮でグリーグのピアノ協奏曲を弾いたオリ・ムストネンもそうだった。その違いは誰が聴いても明らかで、休憩中に評論家やジャーナリストの間で「あのピアノは何?」とひとしきり話題になったほど。結局、サントリーホール所蔵の楽器であったのだが、多くのピアニストの演奏で何度も聴いているはずのピアノからムストネンは〝自分の音〟を引き出していたわけである。ドヴガンが自分の音を持っていたことは過去、現在の名ピアニストたちと同じように活躍していく可能性があり、これから注目していきたい。
公演データ
【アレクサンドラ・ドヴガン ピアノ・リサイタル】
9月26日(月)19:00 紀尾井ホール
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番ニ短調Op.31-2「テンペスト」
シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化Op.26
ショパン:幻想曲ヘ短調Op.49
ショパン:バラード第4番ヘ短調Op.52
ショパン:アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズOp.22
【レオニダス・カヴァコス J・S・バッハ無伴奏ヴァイオリン・リサイタル】
10月9日(日)14:00 紀尾井ホール
J・S・バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番ホ長調BWV1006
J・S・バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番イ短調BWV1003
J・S・バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番ハ長調BWV1005
【ミッシャ・マイスキー J・S・バッハ無伴奏チェロ組曲全曲演奏会】
10月31日(月)19:00 サントリーホール
J・S・バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調BWV1009
J・S・バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調BWV1008
J・S・バッハ:無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調BWV1012
筆者プロフィル
宮嶋 極(みやじま きわみ) 毎日新聞グループホールディングス取締役、番組・映像制作会社である毎日映画社の代表取締役社長を務める傍ら音楽ジャーナリストとして活動。「クラシックナビ」における取材・執筆に加えて音楽専門誌での連載や公演プログラムへの寄稿、音楽専門チャンネルでの解説等も行っている。