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地域から 「楽しい」で人々つなぐ 障害の有無超え活動 世田谷スポ・レクネット(東京都世田谷区)

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「体育館まつり」に参加した斎佐一さん(前列右端)、今野浩太郎さん(同右から2人目)ら世田谷スポ・レクネットのメンバー=東京都世田谷区の尾山台地域体育館で2022年10月2日、藤倉聡子撮影 拡大
「体育館まつり」に参加した斎佐一さん(前列右端)、今野浩太郎さん(同右から2人目)ら世田谷スポ・レクネットのメンバー=東京都世田谷区の尾山台地域体育館で2022年10月2日、藤倉聡子撮影

 東京都世田谷区の尾山台地域体育館で10月にあった「体育館まつり」。プログラムの一つとして行われた「ボッチャ体験会」には、幼児から高齢者まで50人余りが参加した。訪れた人々に「ボッチャ、やってみませんか」と声を掛け、先生役を務めたのがNPO法人「世田谷スポ・レクネット」のメンバーたちだ。

 世田谷区東南部、尾山台がある等々力地区に隣接する深沢地区を拠点に、子どもから高齢者まで約70人の会員を擁する。始まりは2012~14年度に文部科学省が実施した、障害のある人もない人も楽しめる「スポーツ・レクリエーション活動」の推進事業だった。

 地域での活動を推進する仕組みを実践研究する事業で、全国21カ所でモデルとなる活動が実施された。事業の「協力者会議」の座長は、野村一路・日本体育大教授(当時)。日体大キャンパスのある深沢地区では、野村教授の生涯スポーツ学研究室が中心となって活動が展開された。

 その一環として13年9月、ハンドサイクル(手こぎ自転車)を楽しむイベントに、会社役員で後にNPO法人理事長となる斎佐一(いつきさいち)さん(66)が参加した。当時16歳で体が不自由な長男の「付き添いのつもりだった」という斎さん。「どのように楽しみたいか。どんな手助けが必要か。保護者も、ぐいぐい引き込まれた。参加者は楽しませてもらうのではなく、主体的に『楽しい』を生み出すというのが新鮮で、衝撃を受けた」と振り返る。

 参加者とスタッフが一緒になってプログラムを創造していく。そんな活動が地域の人々をつなぐツールとなり得ることを感じ始めた頃、15年3月で文科省の事業は終了した。「『これで終わるのは、寂しい』と考えましてね」と斎さん。事業で出会った仲間が集う任意団体として15年4月、世田谷スポ・レクネットを設立。21年3月にNPO法人格を取得した。

 これまで、車いすテニスや風船バレー、卓球バレーなど、さまざまなスポーツを楽しむとともに、指導のノウハウを学んできた。特にボッチャは新型コロナウイルス感染拡大前は月1回のペースで交流会を実施し、18年からは学校や会社のチームも参加する「せたスポ杯」を開催。22年4月からは、尾山台地域体育館で月2回開かれる「ボッチャ教室」でも、会員が先生役を務めている。

 障害の有無や年齢、性別に関係なく楽しめる活動が大前提。その上で、「フォーカスしているのは、『地域』です」。こう説明するのは、NPO副理事長の今野浩太郎さん(30)だ。日体大生涯スポーツ学研究室で学び、日体大助手や東京都オリンピック・パラリンピック準備局職員としてスポーツ指導や地域振興に携わった。現在は茨城県を中心に児童デイサービスや就労支援事業を展開する会社で働きながら、世田谷スポ・レクネットの活動を支えている。

 スポーツ・レクリエーションによって、孤立しがちな人と人を結び交流を生み出す。「スポ・レクネットが目指すのは、地域の社会的資源になること」と今野さんは力を込める。イベントを通して自治会や社会福祉協議会との関係も強まった。「地域」に焦点を当てるから、活動範囲は互いの顔を覚えられる中学校区ぐらい。文科省事業の21の実践拠点のうち、今日まで継続している数少ない成功例だが、活動の軸足は名前の「世田谷」より小さな「深沢地区」に置かれ続けている。

 「同様の団体が、世田谷区にいっぱいできれば、という希望も込めたネーミングだったんです」と今野さん。各地でスポーツ・レクリエーションが住民をつなぐツールとなり、団体同士が緩やかなネットワークでつながれたら――。小さな地域の活動に、大きな夢を描いている。【藤倉聡子】=随時掲載

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