旧村上ファンド幹部の”改心” あるアクティビストの軌跡

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阪神電鉄経営陣との会談後、大勢の報道陣を前に記者会見をする村上ファンドの村上世彰氏(右端)=大阪市福島区の阪神電鉄本社で、2005年10月11日午後0時45分、小関勉写す
阪神電鉄経営陣との会談後、大勢の報道陣を前に記者会見をする村上ファンドの村上世彰氏(右端)=大阪市福島区の阪神電鉄本社で、2005年10月11日午後0時45分、小関勉写す

 2000年代半ば、世間をにぎわせた投資ファンド、村上ファンド。「物言う株主(アクティビスト)」として企業に事業再編などを迫ったことで経営者らからは嫌われ、恐れられた。ファンドを率いた村上世彰氏ら元メンバーは今もそれぞれ投資業界で活動しているが、そのなかには当時の手法を一変させたメンバーもいる。「真面目にアクティビストをやっていると評価してもらいたい」。そう語る元メンバーの心情とは。

地味なオフィスで

 東京・JR恵比寿駅にほど近い、マンションなどが建ち並ぶ一角にあるオフィスビル。その6階に投資ファンド、ストラテジックキャピタルのオフィスがある。アクティビストとして活動するファンドで、代表の丸木強さん(63)は村上ファンドのメンバーだった。

 「昔は本当に敵が多かった」。大きなテーブルがあるだけの簡素な会議室で、丸木さんはそう振り返った。六本木ヒルズにオフィスを構えていた往時と比べると地味な印象だ。「今でこそアクティビストは受け入れられつつありますが、当時は『がめつい、強欲なヤツら』と後ろ指をさされましたよ」と苦笑する。

「こわもて」の側近

 村上ファンドは、00年に不動産事業などを手掛ける「昭栄」に日本初の敵対的な株式の公開買い付け(TOB)を仕掛けたことで業界で知られるようになった。本来の価値に比べて株価が低いとにらんだ企業の株を取得し、配当の増加や取締役の受け入れなどを要求。時には株主総会でプロキシファイト(委任状争奪戦)を仕掛ける戦闘的なスタイルで注目を浴びた。

 広く世間に知られるようになったのは、05年の阪神電気鉄道の株買収だ。傘下のプロ野球球団「阪神タイガース」の上場を提案するなど世間の話題をさらい、投資ファンドという存在を一躍、表舞台に引き出した。テレビカメラを前に、冗舌に語る村上氏の姿を覚えている人も多いだろう。派手に振る舞う村上氏の脇で実務を取り仕切っていたのが、丸木さんだ。

 丸木さんは村上氏と灘高校、東大時代の友人で、野村証券を経て1999年にファンドの設立に参加した。村上氏の側近として知られ、自身も「こわもて」と恐れられた。「あの頃は『経営者をやっつけよう。倒そう』と考えていた」という。実際、当時買収を仕掛けられた企業の幹部は、村上氏や丸木さんを蛇蝎(だかつ)のごとく嫌っていた。

転落

 破竹の勢いだった村上ファンドだが、06年にニッポン放送株を巡るインサイダー取引事件で村上氏が逮捕され、終わりを迎えた。村上氏逮捕の直前に、ファンドの代表に就いた丸木さん。他のメンバーがシンガポールに渡り新たなファンドを設立するなか、残って投資家への資金返還など清算に携わった。「ちょっとした責任感がありました。逃げ出さず、最後まで付き合おうと思いました」。当時の心境をそう振り返る。

 ファンドは解散。村上氏もシンガポールに渡ったが、丸木さんは日本に残った。だが、数年間は「気分が落ち込み業界に戻ろうという気にはなれなかった」といい、個人投資家として活動しつつ他のファンドの手伝いなどをして過ごしていた。

再始動

 今のファンドを設立し本格的に活動を再開し…

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