「部下は見殺し」「人の肉食べ生き残った」 元兵士たちの証言
- ツイート
- みんなのツイートを見る
- シェア
- ブックマーク
- 保存
- メール
- リンク
- 印刷

パプアニューギニアで死んだ私の祖母の弟、新井進さん。同じ土地から帰還した兵士の遺族は現地で起きた本当のことを話してくれた。【國枝すみれ】
連載「進さんを捜して」第1部は全4回です。
このほかのラインアップは次の通りです。
第1回 DNA鑑定をしてみる
第2回 生存率6%の部隊
第3回 ウルワ河ってどこ?
鉄砲玉の下をくぐっていない人
「父は文字通り死んだ戦友のおかげで生き延びた」
6月に開かれた、パプアニューギニアから帰還して遺骨収集にも力を注いだ堀江正夫さんをしのぶ会。その会場で記者の隣に座った宮大工の辻本喜彦さん(75)はそうつぶやいた。
辻本さんの父は、1942(昭和17)年に山脈越えでポートモレスビー攻略を目指した南海支隊に所属する独立工兵隊の一員だった。ギルワの陣地が敵に包囲されるも、戦死体を積み上げた野戦病院の一角だけは包囲網に穴が開いていた。腐臭で敵が近づけなかったからだ。雨の夜、息を殺してその穴を通り抜けて脱出したという。
「父は戦争中の体験を詳しく話さなかったけど、死後に戦友たちがいろいろ教えてくれた。『兵士はみんな勇敢だった』と言う人は、鉄砲玉の下をくぐっていない人だってね」
辻本さんによると、「将校は部下を見殺しにした」とし、堀江さんが主催する慰霊祭への参加を拒否する人がいた。帰還兵が集まる戦友会では、すさまじいけんかが起きることもあった。
負傷兵を背負い、必死の思いで部隊の駐屯地まで戻ったところ、上官は「大の虫を殺すか、小の虫を殺すか、よく考えろ」と怒鳴った。そして軍医に命じて、負傷兵に何かを注射して殺したという。
「あんた、あのとき(殺害を)命令したじゃないか!」と詰め寄る部下。「覚えていない」とすっとぼける上官。
辻本さんは言う。「戦友たちは、今言わないと死んで言えなくなってしまう、と俺にいろいろ話してくれた。戦争っていうのはそういうものなんだよ、と」
仲間の肉も食べた
辻本さんも参加した戦友会で「敵兵を食べた」という話が出た。上官が「野豚を狩ってきたからみんな食べろ」と部下に鍋をふるまっ…
この記事は有料記事です。
残り1097文字(全文1966文字)