「餓鬼道」のガリ転進、無残な行軍 大叔父が戦死した場所は…
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私の祖母の弟、新井進さんの足跡をたどるとパプアニューギニアに送られて1年もたたないうちに死んでいた。軍の公式記録には「1944(昭和19)年1月20日時刻不明、ウルワ河で戦死」と書かれている。ウルワ河ってどこだ?【國枝すみれ】
連載「進さんを捜して」第1部は全4回です。
このほかのラインアップは次の通りです。
第1回 DNA鑑定をしてみる
第2回 生存率6%の部隊
第4回 戦地で起きた本当のこと
死の行軍
東京・九段下の昭和館にある図書室の司書が古い地図を持ってきて、教えてくれた。「ニューギニア島の北岸にあるシオとガリの間には三つの大きな川がありますが、ウルワ河は最もガリに近く、ガリの東方約10キロにあります」。じっと地図を見つめる。
43年12月、第20師団の一部はニューギニア島東端のフィンシュハーフェンでの戦いに敗れ、ガリ近くをよろよろと退却していた。
ガリ周辺で当時、交戦は記録されていない。日本軍はもう反撃する武器すらなかった。あるのは連合軍による一方的な機銃掃射や爆撃だ。
戦史叢(そう)書にウルワ河の記述がある。
「連日の霖雨(ながあめ)に水勢を増し水流矢の如(ごと)く、流速6米(メートル)に及ぶものもあり。将兵の集団渡河に於(おい)ても流失するもの少なからず」
ウルワ河は、河原の幅が約1キロあり、その間に幅数十メートルの川が何本か流れていた。普段は膝ぐらいの水深だ。そんな河だが、上流の山で雨が降ると、瞬時に増水して濁流が押し寄せる。鉄砲水だ。食料がなく体力が衰えているので、踏ん張れずに足を取られて流されてしまう。
河原には遮るものがないため、昼間に渡れば米軍に見つかってしまう。夜に渡河すると、暗闇で足元が見えない。
20師団はガリに到着したものの餓死が相次いだ、と戦史叢書にある。シオ以西は「餓鬼(がき)道」とも。潜水艦による補給が失敗し、到着前に食料は完全になくなっていた。
進さんと同じ輜重(しちょう)兵第20連隊にいた坪内健治郎さんの手記「最後の一兵」は、こう記している。
「途中の道ばたで倒れるもの…
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