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阪神大震災

1995年1月17日に発生した阪神大震災。戦後初の大都市直下型地震が残した教訓・課題は今――。

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阪神大震災 毎年、会いに来るよ 6人、生きた証し 犠牲者銘板追加式 /兵庫

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銘板を追加する式典で献花する遺族ら=神戸市中央区で2022年12月17日午後2時29分、久保玲撮影
銘板を追加する式典で献花する遺族ら=神戸市中央区で2022年12月17日午後2時29分、久保玲撮影

 阪神大震災から間もなく28年となり、17日に「慰霊と復興のモニュメント」(神戸市中央区)であった銘板追加式では、犠牲者のひ孫の世代も参加した。遺族らは新しい銘板を何度も指でなぞり、鎮魂の思いを込めて献花した。【山本真也、村田愛、巽賢司】

 追加された6人のうち、中野みさ子さん(当時73歳)は芦屋市の木造2階建ての自宅が全壊し、亡くなった。三木市の長女、十倉佐代子さん(67)は「いつも笑顔で、子ども思いのやさしい母でした」としのぶ。震災直前の正月を一緒に過ごして帰る時、門の外に見送りに出て、見えなくなるまでずっと手を振っていた。それが生前見た最後の姿だった。

 芦屋市の銘板は一部遺族の要望で、非公開となっている。小学生の孫がいる十倉さんは最近になって「高齢者の仲間入りし、自分がいなくなれば、誰も母のことを伝えられなくなる」と思うようになって掲示を申し込んだ。銘板を貼り付けた後、「たくさんの人に囲まれているようでにぎやか。母は喜んでいる」と話し、「新しい友だちをつくってね」と母に語りかけた。

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