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政治家を「国葬」とすることの問題点が改めて浮き彫りになった。安倍晋三元首相の国葬を巡り、政府が有識者21人から意見を聞き、結果を公表した。
賛否が分かれたのは、まず実施の意義である。
「功績ある人をしのび、国が一丸になる」との肯定的な意見の一方、「誰に弔意を示すかは個々の国民が評価すべきだ」と否定的な声もあった。
国会に諮らず実施を決めた手続きについても見方が割れた。
閣議決定で問題ないとの政府見解を是認する識者もいたが、幅広い国民的な合意を得るためには、事前に国会が関与することが望ましいとの考えも多数出された。
一方、対象者の基準作りは困難との意見が大勢を占めた。
民主主義の下、多様な意見が尊重される自由な社会では、政治家の業績に対する国民の評価は分かれるのが自然だ。
安倍氏についても同様である。
外交で存在感を示したと評価された半面、強引な政治手法や森友・加計学園、桜を見る会などの問題が批判された。死後には世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との深い関係が判明した。
政府の判断だけで国葬を強行した結果、世論の分断を招いたのは当然だった。
先の臨時国会で岸田文雄首相は、今後に備えたルール作りを検討すると表明した。だが、今回分かったのは、その難しさだ。
松野博一官房長官は今後の対応を国会に委ねる考えを示した。だが、衆院がまとめた報告書でも「ルールのあり方自体が論争の種になりかねない」と記された。
やはり政治家は国葬には適さないということではないか。
半世紀ほど前の吉田茂元首相の国葬に野党が反発したことなどから、その後の首相経験者の葬儀は内閣と自民党による「合同葬」が主流となってきた。無用な対立を生まないための「政治の知恵」と言える。
にもかかわらず、首相は歴史の積み重ねを踏まえず、独断で事を決めた。まずはその経緯を真摯(しんし)に検証すべきだ。
国会での議論も、将来にわたり政治家の国葬を実施することを前提にして進めるべきではない。