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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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「黒い雨」救済新制度 京都の体験者「77年ほったらかしだった」

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被爆者健康手帳を手にする浦上博子さん=京都府宇治市で2022年12月20日午後5時51分、井手千夏撮影
被爆者健康手帳を手にする浦上博子さん=京都府宇治市で2022年12月20日午後5時51分、井手千夏撮影

 広島への原爆投下後に降った「黒い雨」体験者を救済する新制度で、京都府宇治市の浦上博子さん(86)にこの夏、被爆者健康手帳が交付された。浦上さんは「手帳をもらえるなんて一度も考えたことがなかった。うれしいです」と語る。

爆心地から20キロ

 浦上さんは山口県で生まれ、5歳の時に広島市の爆心地から西に約20キロ近く離れた玖島(くじま)村(現・廿日市市)に移り住んだ。

 1945年8月6日、国民学校3年だった浦上さんはいつものように登校し、窓側の席にいた。教壇に立つ先生の話を聞こうとした瞬間、「ピカッ」と強い光に襲われ、「ドーン」と大きな音が響いた。東の空を見ると、雲がぐんぐんと上がり、キノコのような雲が目に入った。運動場の防空壕(ごう)に避難した後、先生の指示で午前9時ごろに下校した。

 同級生と別れて1人で帰っていると、空から焼け焦げた紙切れや燃えかすのような物が降ってきた。ヒラヒラと舞い落ちる物を両手で受け止めたが、汚かったのでその場に捨てた。

 家に帰ると、母親が庭で麦の脱穀をしていた。午後3時ごろ、作業を手伝っていると、黒っぽい雨が降ってきた。…

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【広島・長崎原爆】

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