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阪神大震災

1995年1月17日に発生した阪神大震災。戦後初の大都市直下型地震が残した教訓・課題は今――。

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「私は語り部2世」 記憶はなくても伝えたい 28年前のあの日

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父正幸さん(右)と話す米山未来さん=兵庫県淡路市で2022年12月
父正幸さん(右)と話す米山未来さん=兵庫県淡路市で2022年12月

 阪神大震災から17日で28年。震災を知る世代の高齢化が進み、風化の防止は喫緊の課題だ。震災の記憶や経験がないことに自問自答しながらも、未来の大災害に備え教訓の伝承に取り組む若い世代の姿を追った。

「父を継ぐ」米山未来さん

 生後2カ月で起きた阪神大震災の記憶はない。だが「語り部である父の話を途絶えさせてはいけない」と背中を追い、震災の状況や防災情報の伝達に取り組むのは兵庫県・淡路島出身で川崎市の会社員、米山未来さん(28)。偶然飛び込んだインターネットのライブ動画配信サイトでの経験が「語り部2世」の道を進むきっかけとなった。

 震災で地表に現れた断層を保存する北淡震災記念公園(同県淡路市)で総支配人を務める語り部の父正幸さん(56)の話を幼い頃から何度も聞き、涙を流した。だが大学進学で東京に出ると、友人が震災を知らないのにがくぜんとした。

 「なぜこんな大事な話が広がらないのか」。やきもきした思いを胸に暮らす中、2018年、友人に紹介されたライブ動画配信サイトを「面白そう」と感じ、出演者として登録したことが転機になった。

 当時は夢を追う出演者がスマートフォンで自撮りした動画を配信するケースも多く、最初は好きなファッションのことでも話そうと思っていた。

 配信を始めると視聴者から「夢は何?」と問われることがあり「実は震災の語り部をやりたいんです」とおそるおそる本音を口にした。娯楽を求める視聴者の反発を買うのではとびくびくしたが、「いいじゃん。やりなよ」と応援され驚いた。

 19年8月、父の見よう見まねで震災について…

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【阪神大震災】

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